ユユユユユ

webエンジニアです

映画

フェリーニの『8 1/2』

印象的なシーンはあった。たとえば大女のダンス。ルイーザの憤激。泥風呂でのめくるめくワンショットでのセリフ回し。 それらはみな、この映画が名作たるゆえんではなく、ジャンクに埋もれた一片の輝き、全体の成功に寄与しない一部の成功、とみた。 芸術家…

黒澤明の『天国と地獄』

夕暮れに話ははじまる。主人公権藤が勤め先に敵対的買収をかける計画が披露されたあとに、誘拐犯からの最初の電話と、警察の秘密の介入によって舞台のお膳立てが整って、他人の子のために身代金を支払うか、支払わないか、という問題に煩悶する演劇仕立ての…

ヴィスコンティの『ベニスに死す』

セリフの比重が大きくないわりに、じっくりと演技をみせるということもしてくれず、遠くに配置したカメラをしつこくズームインして登場人物の顔がスクリーンからはみださんばかりとなり、ちょっと動くだけでも画面のなかでは激しく動いてしまって落ち着かな…

『気狂いピエロ』

どんな男が話しているのかわからない、ベラスケスへの晦渋な批評のモノローグからはじまる。書きことばを読みあげていて、おそらく話者自身も意味を伝えられると信じていないし、伝えようとははなからしていない。伝わる意味があるとすれば、それは難しそう…

『勝手にしやがれ』

正直なところ、この映画に強い印象や大きな存在感を感じてはいなかった。学生の頃にお勉強で観賞して、ふうん、と思ったくらいだった。つまらないとは思わなかった。ベッドの上でタバコを吸うのは格好いいけど、灰のやり場所にこまるだけだから真似すること…

『リコリス・ピザ』

断片的なエピソードを恣意的にみえるやりかたで接合して長編に仕立てた印象があった。ひとつひとつの断章はおもしろい小話になっているが、全体を統合する構造をつい探してしまい、それがあらわれなかったことで肩透かしを受けた感覚があった。 青春映画の体…

『わたしは最悪。』

クライテリオン・コレクションのアーカイブから、気の向くままにお気に入りの映画をいくつかピックアップする短いビデオシリーズをこのまえ見つけた。このビデオではスターの風格を持ったレナーテ・レインスヴェという女優がフィーチャーされている。 https:…

『ベイビー・ブローカー』

もっとも崇高な瞬間はただ一度だけ訪れる。 それは決定的な破局の直前に訪れる。嵐の前の静けさといってもいいかもしれない。どうしてこんなことに、と浮足立ってもおかしくないときに、かえって運命をいつくしむようにして悠然としている。 灯りを消して、…

『サッドヴァケイション』

暗闇のなかに二人組が立っている。粗野な格好をして、並んで遠くを眺めている。なにかを待っている。 二人は無言で無骨な鉄ハシゴを降りる。狭い地下室に男たちがすし詰めに横たわっており、眠っていたのだろう、懐中電灯に照らされて不服そうににらみつける…

『奇跡の丘』

パゾリーニによるキリストの生涯の映画化。国内上映権が切れるタイミングで新文芸座が上映するというので、レイトショーで観にいった。 とても嫌な映画だった。詭弁だらけの論破王。ポピュリストの独裁者。そういうフレーズが上映中ずっと頭のなかを走り回っ…

『アポロンの地獄』

散文的に幕を開ける。とりとめがなく、文字通り焦点の定まらないショットが続き、前半部分は眠気を引き出されていた。しかしオイディプスが即位し、テーバイを災厄が襲いはじめてからというものは、否応なく目を見開かされる、感覚に痛々しいシークエンスが…

『私だけ聴こえる』

疎外感を感じるのは誰にでもあること。自分ではどうしようもない、神が与えた境遇に苦しむのは普遍的なこと。悩みや不満を共有できる相手がいることはたぶん、心からわかりあうこととはすこし違う。その宙吊りなアイデンティティを、コーダという名前で定義…

『マイスモールランド』

大学3年のとき、『ペルシア語文法ハンドブック』という文法書を、その著者の吉枝先生の研究室で買わせてもらった。それをカナダ留学に持参して、在カナダのイラン系移民の子どもたち(彼らは親の言葉を話せないのだった)と一緒に、ペルシア語の授業を受けて…

『トップガン マーヴェリック』

映画はフィクションだというのは大前提であるのに、それでも「そんなご都合主義なことがあるかねえ...」と醒めた態度でもって、リアリティがなくていまいちピンとこないんだよねえ、と気の抜けた感想を持ってしまうことはしばしばある。つまらない大人の仕草…

『シン・ウルトラマン』

怪獣との戦闘はおもしろい。それがバカにもわかるウルトラマンの力と勇気を見つけているからである。しかしそれ以外のパートでは、特殊な固有名詞とそれらしい政治劇で煙に巻くような構成が悪くみえた。 中身のない話をし続けるという意味ではたしかに空想映…

『コーダ あいのうた』

昨日は早起きをしたおかげで早寝をすることもでき、おのずときょうも早くに目が覚めることになった。手持ち無沙汰に就業してしまい、予定もないのにはや上がりになりかねなかったところ、なんとなく映画館を物色していて、いい時間の上映を見つけた。アップ…

『グリード (1924)』

8時に始業、17時に終業して映画を観に行った。アテネ・フランセに。 早起きに慣れないので、向かう電車で眠気をもよおした。そのコンディションでサイレント映画をみる。これは眠ってしまうかもな。 しかしそれは杞憂だった。おもしろい! ただならないオー…

『EUREKA/ユリイカ』

もうだめだ! とおもったところから、再起をはかって車を走らせる。その後半の構造は『ドライブ・マイ・カー』とたしかに似ている。しかし似ているところを探すために観ていたのではない。後半だけが見どころだというのでもない。全編通して強力な作品で、4…

タルコフスキー生誕90年

渋谷のユーロスペースで記念上映をやっており、土日を使って『ソラリス』『ストーカー』『鏡』と70年代制作の三本をまとめて鑑賞した。 『ストーカー』がとりわけよかった。お気に入りの一本になった。超自然的な力の存在はただ示唆されるだけであるのに、そ…

ヴェンダースの『さすらい』

池袋の新文芸坐がリニューアルされて新しくオープンしたという話を知った。上映スケジュールをみると、ちょうど溝口特集をやっているらしい。 大型連休のあいまの平日で、暦通りに在宅勤務をしていた。溝口はどうにもあきらめざるをえない。しかしレイトショ…

『ドライブ・マイ・カー』

静かな映画である。ずっと会話が続いている。品格のあるひとびとが中心にいる作品であるから、ダイアログはいつも穏やかで、暴れない。演技も抑制的で、叫ばないやりかたで感情の動きを表現している。音楽もそう。アンビエンタルなサウンドトラックが映画館…

『偶然と想像』

言葉への信念と疑念がないまぜになっている。ダイアログのみによって映画は駆動して、カメラはいたずらに観客を振り回さない。狭い空間で、俳優たちが静かに、しなやかに演技をして、それでじゅうぶんなのである。脚本も素敵であるが、演技が脚本を超えてさ…