『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』
スター・ウォーズの第二作を観た。アーヴィン・カーシュナーが監督をしていて、ジョージ・ルーカスは製作にまわっている。
ルーク・スカイウォーカーは相変わらず英雄然としていない。むしろたいした負け犬で、しかもオビ=ワンとヨーダの忠告に逆らって負けに突き進む姿はほとんどアナキン・スカイウォーカーと変わらない。ふたりの関係を考えるとそれは自然であるのだけれど、アナキンは転んでルークは転ばないというのがいくぶんご都合主義にみえもする。アナキンに肩入れしたくなる判官贔屓なのかもしれないが...。
もっとも、ルークの脆弱さはそれだけにとどまらない。冒頭からして注意力散漫から雪男につかまって、ハンともども極寒の惑星で一夜を明かす危機に招き入れるし、出会ったばかりのヨーダを取るに足らない妖怪とあしらって性急さを咎められたり、あまつさえフォースへの信念を欠いて修行を諦める素振りさえみせる。新三部作でアナキンがみせた才能と実力のきらめきに比べると、主役の格が落ちているようにもおもわれる。
たいして、ハン・ソロの存在感は変わらず光っていた。リーダーぶることは一切しようとしないけれど天性のリーダーの資質をもって冒険をひっぱる姿がいちいち格好いい。野性味を出してレイア姫にくちづけしたかとおもうと、チューバッカと一緒にミレニアム・ファルコンの修理に奔走する理系っぽさも持っている。そして最後には、カーボンフリーザーの餌食になるが、その直前でレイア姫の愛の告白を "I know." とキザに受け入れるやりかたも、一匹狼キャラが一貫している。
なんの希望も残さずに幕引きになるときに、勇壮なテーマ曲が流れてもあまりいい後味にはならない。だいたい、ルークがヴェイダーに大敗を喫したうえ、ソロを賞金稼ぎの手に落としているのである。これからそれを奪還しにいくと最後にぽろりと垣間みせたところで、空虚な気持ちは変わらないのに、レイア姫が嬉しそうに笑っているのはどうかしているとおもう。悲壮な結末は悲壮な演技で閉じてもよかったのではないか。そのあたりが、娯楽映画の第二作というスケールに収まっていて、いくぶん物足りなくもある。