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『エンジェルス・イン・アメリカ』「ミレニアム迫る」

新国立劇場に『エンジェルス・イン・アメリカ』の第一部を観にいった。

1985年。レーガン第二期政権のはじまった年に舞台は置かれる。見かけの景気はよさそうでいて、エイズと精神錯乱がプライベートな話題の中心に居座っている。エイズによって終わる関係、ゲイであることを自覚して終わる関係。そしてあたらしくはじまる男と男の恋の関係。八人の俳優がそれより多くの役柄を演じあって、つながりのないいくつかの話を群像劇のように示しているようでいながら、まとまりのなさに混乱させられたりすることはなかった。晦渋な台詞回しも少なからずあって、日本語の意味がわからなくなってしまう場面もあったのだけれど、それでもなんとなくおもしろくてもっと長く観ていたいと願った。

山西惇さんの演じたロイ・コーンという人物の姿が印象深かった。敏腕弁護士にして、反共主義者。同性愛の傾向を隠して、みずからの不調はエイズではなく肝臓がんだと強く言い張る姿勢。ジョン・エドガー・フーバーにかわいがられて出世したことを懐かしく思い出して、裁判所の貧乏書記官ジョーにワシントン栄転を持ちかけるのも、実は自分自身の身を守るためのコネクション固めであったりする。自分には勝利がよく似合うと信じて疑わない自意識過剰のいけすかない人物であるはずなのだが、権力にとりつかれたこの男が哀れにみえるようには描かれていない。むしろ、他の登場人物たちが後悔に苛まれ苦しみながら生きていることをおもうと、コーンくらいの破天荒さはかえって健康で、エイズに罹ろうともへこたれずに堂々と自分の矜持を持ちつづける姿は誇らしくも映る。

天使が空から降りてきて、プライアーが「ええ〜っ!?」と喜劇調に客席を見渡して第一部は終わった。悲劇的な人間関係がそこここに取り残されているなかで、そんな豪放磊落なやりかたによって幕引きをはかる脚本もよかった。深く理解できたとはまったくおもえないのに、おもしろかったと言い切ることもできてしまう気がした。たのしい芝居だった。