ユユユユユ

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The Sound and the Fury by William Faulkner

いちど通読したとおもわれる痕跡が残っていた。難しい単語にマーカーで下線が引かれているのである。

学生のころに購入して、夏休みかなにかの折に第一部を読んだのは覚えている。そこで挫折した記憶があった。コロナに罹って寝込んでいるほかなにもすることのない盆休みに、もういちどこれにチャレンジしようと持ち出した。驚くべきは、第一部で挫折したという記憶に反して、通読しているらしいことである。全編を通してハイライトがついている。

そのわりに話はなんにもおぼえていないのだ。クエンティンが自殺するということだけは覚えていたが、それは単に有名な話だから覚えているにほかならない。入水のシーンが直接には描かれないことを忘れていたのだから、やっぱり読めていなかったんだろうとおもう。

とにかく読めていない。間違ったメモを大量に書き込んでいて、混乱しながら読んでいたことが伺える。それを踏まえて、前回よりは誤読も減らしてよく読めるようになったとおもいたいところ、やっぱり重大な勘違いをしていたことが今回もあったりした。それは通読したあとに、アメリカの学生向けの学習サイトでアブストラクトを読んで確認した。

まずジェイソンを善玉とみなしていた。ハードボイルドなダークヒーローのような存在とおもって読んでいたが、よく検討すると男らしさを傘に来た卑劣漢である。同情的にみえてしまうのは、彼が一人称の立場を占めているからであって、フォークナーが哀れみを寄せているわけではない。ケチンボで、偏狭で、人種差別主義者。コンプソン家の没落を完成させる人物。叙述のトリックに足を奪われて、そのヨコシマな描かれ方に目が向いていなかった。

第一部の読み解きもやっぱりぜんぜんだめだった。いちど通読して登場人物たちの名前と年齢と性別をよく整理してからあらためて読み直さないとなにもわからなくなる。たとえば、最初に読むときにはクエンティンが男なのか女なのかでまず混乱する。モーリーおじさんとベンジーの解明前の名前がモーリーであることも混乱の種になる。父親がジェイソン三世で、その子がジェイソン四世というのも難しい。そんなのばかりだ。第三部でジェイソンと対峙する赤いタイの男が第一部ですでにあらわれていたりすることも気づけていなかった。いや、知りもしないので気づけるはずもないのだが。

かくのごとく極めて読み解くのが難しいということはさておいて、答え合わせさえしてしまえばとんでもなく一貫した主題がはっきりと整合していてすさまじい。キャディの汚れた下着に象徴されるモラルの破綻、騎士道精神を守ろうとせんあまりに狂乱して破滅するクエンティン、資本主義の現世利益を追求して俗な小物と堕すジェイソン、キャディの喪失によって家族における秩序の拠り所を失い嘆くベンジー。この四兄弟のうち三人までを語り手として採用して、キャディのヒロイックな姿を多面的に浮かび上がらせる。また信仰深いディルジーをしてこの家族の没落を観察させる役割を与えてもいる。