ユユユユユ

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ロサンゼルスで盲腸になった話

ロサンゼルスに二週間滞在していた。その滞在の初日に猛烈な腹痛をおこした。そして1週間後に急性虫垂炎と診断される。

手術はせずに帰国した。診療は東京の医療機関にバトンタッチして続いているが、ロサンゼルスで起こったことは次のようであった。

10月10日

早朝にロサンゼルス国際空港に到着する。入国審査の列を抜けるのに一時間以上かかって、預け入れたスーツケースの回収にも手間取る。パートナーがひまわりのブーケをもって出迎えに来て、住まいまで車を手配してくれる。

お昼にブリトーをテイクアウトして、噴水のそばの木陰で食べる。食後にお腹が痛くなりはじめる。トイレにいく必要がある種類の腹痛と感じるが、排便はなく、痛みは持続する。部屋で休ませてもらう。

夜にかけてこの腹痛はいっこうにおさまらず、食事もほとんどできない。便の詰まりを疑って下剤のグミを二粒食べる。それで腸は空にできても、腹痛は消えない。

クッションを抱くとすこしだけ落ち着くから、抱いたままエアーマットレスの上で動けずにいた。翌日病院に連れて行ってもらうことにする。

10月11日

パートナーが海外旅行保険の窓口に問い合わせてくれて、病院から保険会社に医療費を直接請求してもらうスキームでアメリカの医療機関を受診できることになる。半醒半睡のまますごす。

14時に West Pico Blvd. の New Sunrise Clinic を受診する。コロナウイルスの検査にはじまり、検尿と検血、検便をする。医師はピーター・アライ先生。日本語で診察してくださる。食中毒が疑わしいが、血液中の白血球の多さは盲腸の可能性も示唆していると診断される。

いまはまだわからないことが多い。乳製品と脂ぎった料理を食べないように。飲酒は決してしないように。翌々日に再診にくるように。そう指示される。抗生物質を点滴される。

メトロニダゾール 500mg とシプロフロキサシン 500mg を処方されて、コリアタウンの Lee's Discount Drug で調剤してもらう。これを服用して、夜から徐々に腹痛がやわらぐ。

10月12日

痛みはおおむね消えて、再診日は翌日の予定だったが、午前中に医院から猛烈な回数の電話がきて、午後に急遽再診となる。検尿をふたたびおこなう。

検査機関の報告は、血中の白血球が異常におおいことを明らかに認めている。

また尿からも白血球が出ている。前日の尿検査ではそれはなかった。盲腸の可能性はあるし、膀胱と腸のあいだに穴があいている可能性もある。点滴をもういちど受ける。

翌日の再診は取り消して、代わりに翌朝に放射線検査センターで CT を撮りに出向くよう指示される。検査費用は医院が肩代わりしてくださる。

ピーター・アライ医師は翌日より学会のため不在にするから、18日に再診におとずれるようにと指示される。

この日の夜には痛みは消失する。

10月13日

日の出よりも早く検査センターに出向いて CT スキャンを受ける。

10月17日

ダウンタウンの現代美術館を鑑賞しているときに電話がある。盲腸です、と告知される。メトロニダゾール 500mg を、これまでは一日二回飲んでいたところ、一日三回に変更するよう電話で指示される。

10月18日

早朝に通院。容態を問診される。痛みは消えて、いちどもぶり返していないと伝える。

ピーター・アライ医師は油断は禁物という。白血球の数は低下して正常と報告されているが、それは正常範囲の上限にかろうじておさまっている程度のもので、いつまた増加しないとも限らない。

そもそも抗生物質で痛みが収まったことは、炎症が消えたことは示唆するかもしれないが、化膿が消失したことを意味しない。つまり、いつなんどき腹のなかで膿の爆弾が破裂しないとも限らない。

米国の医療にあって、盲腸を投薬で治療することは、基本的にはありえないのだと教えられる。ぼくのケースでは、滞在スケジュールを鑑みて特別に、投薬で症状を紛らわしている状態に移行していると。

シプロフロキサシン 500mg を 750mg に増量するように指示される。手持ちの錠剤は 1.5 錠ずつ飲み切るようにと。新しい処方箋をもらうが、あと二日分の薬はあまっているから、翌日に USC Pharmacy で受け取ることにする。

検査センターに出向いて CT 画像のデータをソフトウェアごと CD に焼いてもらう。

10月21日

土曜日。早朝に通院。最新の血液検査は、白血球の数が平常の数字に戻ったことを認めている。これであれば、飛行機のなかで膿の爆弾が炸裂することはないでしょう。ただし、帰国したらすぐに日本の医療機関を受診すること。ピーター・アライ医師にそう指示される。

また検尿にも異常が継続的に認められるから、盲腸とは別に泌尿器科を受診すること。若いうちには体験することがなかったことだとおもうが、人間の肉体というものは年をとればとるほどに、いくつもの異なる病にいちどにかかる。盲腸さえ治せば万事よしとは考えないこと。定期健康診断や人間ドックのような制度が異常なしと報告するのをすべて信じてはならないこと。そう指導もされる。

点滴を受ける。これでアメリカでの通院はおしまい。


苦しくない身体であるために、たいへんに多くのひとに助けられた。医師にも、医院のスタッフにも、薬局のスタッフにも。

新しい環境で仕事をはじめてまもないパートナーには、再会をたのしむこともまだできないうちからおおいに心配をかけてしまった。しかし彼女がいなければ適切に診察を受けることも危うかった。救ってくれてありがとうとなんども話した。これからもそうおもいつづけるだろう。