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太宰治の『右大臣実朝』を読んだ

鎌倉殿ブームにあやかって買ったままになっていた、岩波文庫から新しく出た太宰治の『右大臣実朝』を読んだ。

太宰といえば天衣無縫の私小説作家という先入観があったのだけれど、それはまさしく先入観だった。『右大臣実朝』は、吾妻鏡からの引用、実朝の歌人としての栄華、鴨長明藤原定家金槐和歌集など、古典に立脚した想像力が展開されている。ただし現在時制で生き生きと書こうとはせずに、近過去の昔話を又聞きする形式によって、過分のバイアスも含めながら表現している。それがおもしろいとおもった。

古典への参照といえば「走れメロス」にしたって、メロスやらセリヌンティウスやらの名前はローマ風の風俗にのっとっているようにみえるし、高校生のころに読んだ『お伽草子』なんかも、たしか昔話の語り直しだった。古典とか正統というものに強く執着する性格だったのかな。そうであれば、僕ははじめて彼を身近に感じることができる気がする。

大岡信谷川俊太郎が編集した『声で楽しむ 美しい日本の詩』というアンソロジーを枕頭においてぽつぽつ読んでいたときに、源実朝という名前をみた。おやこれは三代将軍と、歌人としての評価をなにもしらずにおどろいた記憶がある。そのときにみた歌はこれだった。

ほのほのみ虚空にみてる阿鼻地獄 行方もなしといふもはかなし

10月は、月初の「アレ」でなににも気分があがらずもんもんとばかりしていた。夏は盛んに勉強をしていたのと対照的に、まったく本も読まずにぼうっとしていた。この一冊を読み終えられはした。読んだところで、枯れた言葉のほかに耳を傾ける価値なし、という自己暗示は強まるいっぽう。これは壮年男性の保守化なのか。しかし別にそれでいいやと開き直っていて、直そうとも思わずにいるのはたしかなようだ。