ユユユユユ

webエンジニアです

黒澤明の『悪い奴ほどよく眠る』

「悪い奴」に正義が立ち向かうという大きな筋書きを、社会的な関係と人情の機微で肉付けして厚みを出す脚本で語っていて、たいへん満足した。

秘密の動機を浮き彫りにするやりかたがおもしろい。汚職の秘密を共有する「クリーンナップトリオ」に食い込んでいく西を三船敏郎が演じて、その西は自動車整備所で板倉ともうひとつの秘密を交換する。誰がなにを知っていて、なにを知らないかがよく整理されたうえで演出されているから、関係者の数がずいぶん多く、陰謀のスキームも単純でないにも関わらず、効果的なサスペンスがあらわれている。

嘘のあつかいかたも巧み。死んだはずの和田を匿って、しかも死んだという建前を利用して策略を計画するという嘘。貸し金庫の秘密を握る和田の支援で、白井の 500 万円の行方を西がコントロールして錯乱をおぼえさせる嘘。岩渕が佳子に、兄が暴走して西を殺しにいったと吹き込んで居場所を吐かせる嘘。嘘そのものにほころびはなく、嘘を聞かされるほうもそれを信じて不自然でない性質がよく共有されているからこそ、嘘が劇的効果をもつ。

終盤は、やや湿り気を帯びたドラマをどのように決着させるか、尻すぼみとなって終わらせないやりかたはどのようなものか、と注目してみていた。なんとも惨たらしい結末になって情ない後味を残すが、勧善懲悪を意味しないタイトルがあらわす主題の幕切れはこうとしかなりえないのだろう。正義がゆきわたることをせめて映画には期待したいという甘えを断ち切るリアリズムは人間社会の真実味を嘘なく主張しているようにおもう。

徹底的な計画のうえで運ばれるはかりごとが、数少ない失策によって破綻するのは切ない。敵はミスをしないからこちらは地面を這いずり回って勝ち筋を通さなければならないのに、こちらの小さなミスは確実に敵の反撃の根拠になって、すべなく壊滅させられる。悪運は悪人にこそ備わるというか、天命の加護を受けるからこそ人の上に立っているというか。驕れる者は久しからず、というが、それを打ち倒すためには天命、つまり圧倒的な運を味方につけなければならないことがわびしい。

平清盛が驕るだけでは足りずに、平氏の決定的なミスと源氏の決定的な命拾いが同時に起こった合成力によって、はじめて武家政権交代はおこった。だからこそ、せめて平家に驕りさえなければという後悔が無常観を生むのだろう。盤石の権威を倒すのはそれだけ困難な仕事であることは昔から定まっていて、変わりない。