ユユユユユ

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ヴェンダースの『さすらい』

池袋の新文芸坐がリニューアルされて新しくオープンしたという話を知った。上映スケジュールをみると、ちょうど溝口特集をやっているらしい。

大型連休のあいまの平日で、暦通りに在宅勤務をしていた。溝口はどうにもあきらめざるをえない。しかしレイトショーの枠で、ヴェンダースの『さすらい』が今夜限りの上映と予告されていた。

去年の暮れくらいだったか、レトロスペクティブ上映が催されていたのを知りながら、ひとつも訪れないまま見逃してしまっていたのだった。いまだみていない『ベルリン天使の詩』をみよう、と意気込みながら、どうもタイミングが合わず、しかし他のタイトルを見る気にもならずに終わってしまっていたのだった。きょうの『さすらい』のプログラムも、その延長線上にあるらしい。

池袋まで行こうとなると、いちど新宿に出てから乗り継いで向かうのが唯一の経路とみなしていた。しかしよく考えると、野方からまっすぐ東に向かえば豊島区になる。自転車でいくのが最短経路なのかも知れない。実際のところ Google Maps は自宅から30分で池袋に出られると主張している。なるほど。これがきょうの最大の発見で、このアドベンチャーを実行したい気持ちが、映画を観たい気持ちと同じだけあった。

いつもよりすこし早めに終業して、せかせかと自転車をこいでいった。環七を渡ってしまえば、あとは新青梅街道をまっすぐ走っていくと、目白駅に出る。そこから池袋駅まではまっすぐである。たしかにたどり着いたが、30分というのはとうてい無理だった。スピードを意識してなお40分を費やした。信号がとにかく多いし、アップダウンも存在する道で、背中に汗をかいて太ももを張らせて、たいしたエクササイズだった。

シアターは評判通りの音響のよさだった。すこし遅れて到着して、オープニングロールの途中で席につくなり、サックスがめちゃくちゃいい音で鳴った。この最初の音でやられてしまった。じゅうぶん大きいスクリーンにひけをとらないどころか、主役を奪いかねないほどのスピーカーの存在感。大きい音をきれいに出すのみならず、小さい音も繊細に鳴らしてくれて、じつに贅沢な上映環境とおもった。

『さすらい』について、大きな主題は語らずに、いくつかの話を断章的につなげた映画とみた。わかりやすい起伏があるわけではなく、ついていくには体力が求められる。このまえ『ドライブ・マイ・カー』をみたばかりで、それとの対比でおもうことはあった。同じ3時間の大作だが、あちらが脚本も演出も徹底的に練って作り上げられたコロッサルな作品であったことをおもえば、こちらはより緊張感は少なく、始終ニコニコしながらみていられる。対照的な演出がとられている二本ではあるが、どちらも映画の楽しみのもっとも優れた例をなしているところに、映画のおもしろみを感じる。

リュディガー・フォーグラーとハンス・ツィッシュラーのダブル主演という感じの体裁であった。クレジット上ではフォーグラーが先にくることと、『さすらい』を含む三部作すべてにフォーグラーが主演しているというが、ふたりの俳優がどちらが主演でも助演でもないような自然な掛け合いがあってこその作品であるという印象は忘れないようにしたい。

それはそれとして、リュディガー・フォーグラーはロバート・レッドフォードとかクリストフ・ヴァルツとかを彷彿とさせる容貌をしていて、格好がいい。その彼がのっけから一糸まとわぬ姿で映し出されたり、立派な大便が排泄されている様子がよくわかるような撮りかたで野糞が映されたり、とかく赤裸々で等身大な印象がある。しかもこれらはモザイク処理なしの無修正で上映される。そのいっぽうで、不良映写技師が自慰にふける場面では、性器をいじる様子にモザイク処理が与えられていて、どこに自主規制のしきい値があるのだろうと滑稽におもった。

ドイツ語を浴びるように聞くことができたのもよかった。わかるところはわかるし、わからないところはわからない。それ以上のものではないものの、日常会話のような演出がとられている手前、聞き取ることができるフレーズがかなり多くて、嬉しかった。「つかれた」「よく寝た」「行くわ」「おしっこしてくる」など。しばらくつかっていないものの、身体で覚えた表現は忘れないものらしい。それは素直に嬉しくおもった。