ユユユユユ

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東京藝術大学奏楽堂モーニング・コンサート 第10回

藝大のモーニング・コンサートを聞きにいった。演目はシュトラウスオーボエ協奏曲と、シューマンのピアノ協奏曲。

秋晴れの上野公園を歩いた。銀杏のなまなましいにおいがした。ぼんやりといってぼんやりと過ごしてぼんやりと帰ってきた。

オーボエの荒木良太さんは、オーケストラに耳をよく傾けて演奏する様子だった。ピアノの鶴原壮一郎さんは、オーケストラをぐいぐいと引っ張って演奏する様子だった。楽器がそうさせるのか、スコアがそうさせるのか、演者の個性がそうさせるのか。知らないことはさておき、いいものをみたとおもった。穏やかな想像をあたえられた。時間がゆっくり流れていた。

国立近代美術館コレクション展

竹橋の国立近代美術館のコレクション展を観にいった。

彫刻、掛軸、屏風絵、版画、水墨画といった、ぼくがこれまで親しんでこなかったカテゴリから、近代日本の芸術家たちの試みの粋がいちどうに集められて、ぼくは刺激的な時間を過ごした。

ピエール・ボナールとかパウル・クレーとかフランシス・ベーコンの作品もあって、しかもほとんど観客のいない空間で鑑賞できるのはぜいたくなことであるけれども、ドメスティックな作家の仕事をおおく眺められたことはそれよりもうれしい。オルハン・パムクの小説をこのごろ読んでいることが、西洋文化の移入をどのように叶えるかという問題意識を前景において眺めるモードにさせていたかとおもう。

長く関心を奪われた作家と作品の近くでとったメモをこれより下に残しておく。

米原雲海「清宵

まるっこい肉体、筋肉の未発達、厚ぼったいまぶた、細い目。乳臭さの残る子供のイメージはたしかにそこにありながら、80cmばかりのちいさな人間の立ち上がる姿には、芸術のひらめきがおとずれる瞬間のよろこびが活写されている。美をかこむよろこびに、大人と子どもの区別はたしかに意味をなさない。

豊かな衣装をまりのようにからだのまわりに膨らませているから、ペンを持った右手を胸の前に差し上げると、風の重さを感じさせる。垂らした左手にはページの束を握っている。これも風に乱れそうであるが、ばたばたと吹くとあまった袖が風を包んで暴れるだろうから、穏やかな風しか吹かないようだ。静かな気候である。

視線の一途さ。月の美に囚われている目というよりも、美の底にある宇宙のはかりしれなさに忘我する目。しかし忘我から還って、それを芸術に転写する目でもある。若い想像力に芸術の真髄をほのめかすのは、ロマン主義をふまえているようにおもわれる。しかしメッセージ性は強くなく、ただそこに美しい彫刻が立っているというつつましさも好ましい。

平櫛田中永寿清頌

痩せ型で長身の老いた男性の彫刻である。茶人帽と地面すれすれの長羽織で全身を黒で包んで、死装束のようにみえる。肌は白く、髪も白い。杖をついて体重をささえている。頬の肉はたるみはじめているが、化粧によって押し戻してもいるようだ。肌の白さと口紅をさしたように鮮やかな唇の対比が、やはり死をおもわせる。葬儀の夜に幻となってあらわれた死者のような姿だ。口角をあげて、目こそ笑わないが、なにかを試すような表情で、遠くをみつめて、物言わない。

着色がない彫刻であれば、茶人の棟梁めいた威厳があったかもしれない。しかし色がそこに乗ると、彫刻は死の異様な生々しさも帯びるようになるいっぽうで、どことなく世俗的な凡庸さもきざす。存在のあいまいさを突きつけて、しかも彫刻だからこの老人は長く朽ちない。すぐれた死の具体化である。

原田直次郎「騎龍観音

コブラのように上体を立ち上げた深緑の龍のうろこまみれの背中に、薄い白い沙羅を何枚かまとわせた、くせ毛の黒髪の観音が裸足で直立している。右手は自然に垂らして青い草をもち、左手には金の燭台を持って胸のまえに捧げていて、そこにろうそくは立っていない。

前景にある龍の身よりも太い龍の胴体の影が、画面中央を奥に伸びているのはなんだろう。左下に鉤爪の三本指が煙の影に見えているが、これも前景の龍からは離れているようにみえる。観音と龍に秩序はあるが、そのほかの構成要素は暴れて散らばっているようにもみえる。西洋の技術のインテグリティを志す姿勢がみえるいっぽうで、統一感があるのかどうかはよくわからない。

龍の表情は、おそろしさよりも純朴さに傾いている。伝説の龍は、犬や鶏に似た顔をしている。それが画面をユーモラスにしている。

パウル・クレー黄色の中の思考

縦長の画面に、濃淡の黄色が塗られている。そのうえに濃淡のグレーが線をつくっている。

半直線が過半数をしめる。曲線はすくないが、紡錘形がふたつ並んで目のような形象をなすところが存在感をもっている。

ランダムにみえるが、無秩序とまではいかない。秩序のあたえかたにスタイルがある。完成していないようで完成していて、不完全にみえるムラや実験の跡は、積極的な表現というよりも消極的な傷のようであって、それが芸術をシミュレーション不能にしている。

菊池契月「供燈

若くして晩年を迎えた平重盛は京都東山の精舎で念仏に明け暮れた。48の柱に48の灯籠がつらなって煌々と輝く様子は極楽のようだった。平家物語はそう伝える。

女官の四人組が、灯籠に火をいれる。ひとりが前に立ち、残りはうしろに控える。明かりを入れる役は、左手に平皿を捧げ持ち、右手につまんだ細い棒で火を灯籠に運ぶ。灯籠は目線の高さにあるから、腕をわずかにあげれば手は届いて、袖口から肌がすべりでて惨めな思いをすることはない。女官の表情には慎重な仕事に務める者の緊張感がにじんでいる。燈を供えることに荘厳な儀礼を見出して、女官はこの仕事に満足するに違いない。

日和崎尊夫の木口木版画群

木口木版画の豊かなカタログを展示している。いずれもサイズにおいてはちいさいが、繊細さのなかにスケールのおおきさがある。細密画師と呼ぶにふさわしい。黒い画面に白い点描で図像を浮かび上がらせる仕事は、ただならない集中力を感じさせる。

晩年の作品は、すこしおおきな木口にくっきりとした彫りをくわえてきらびやかにみえる。ひとつの画面のなかに繰り返しと展開が並立して飽きさせることがない。木の素材の生々しさを残していることもいい。身近な素材から宇宙を取り出す類まれなる芸術家。

奥村土牛胡瓜畑

キャプションの文章がよかった。

縄で組まれた竹の支柱に蔓をからませ、勢いよく生い茂る胡瓜の葉。細かな産毛や柔らかな花に、しっとりと澄んだ初夏の空気が漂います。

國分功一郎『暇と退屈の倫理学』

國分功一郎さんの『暇と退屈の倫理学』を読んだ。

なんとなくつまらない。やりがいをかんじられない。もっとなにかに打ち込みたい。日々がより充実するように仕向けたい。そういう所在なさのことをあつかって、この本はただちにぼくの満たされなさを直撃した。現実の問題を解決することを試みる文章だという直感にうながされて、駆け足ぎみに通読した。ぼくは退屈なのであった。

ある仕事があって、ぼくはそれをどうやらひとよりうまくできるらしい。努力することもどうやら苦としないようだ。人並みよりすぐれた能力があるのだから、人並みのところでくすぶっていてはいけない。もっとスケールのおおきい探検をして、自分の手でなにかをつかんでみたい。そんな尊大な感情に駆り立てられていた。快適な環境を捨てたとしても、新しい信念に身を捧げられれば幸せであるはずと信じた。しかし、そうしてたどり着いたさきにあるものは、変わりばえのしないあの所在なさであった。その浅ましさにくじかれて、ぼくはふたたび退屈な快適さのなかに戻ってきた。

この本で退屈は三つの形式として語られる。そのことをぼくは実感をもって把握することができる気がした。退屈を紛らすために習慣を作り上げるが、その習慣によって退屈する状況としての、第一形式。退屈さを紛らわすために気晴らしをはじめるが、その気晴らしそのものに退屈を感じはじめるものが、第二形式。そして退屈から自由になろうとして、意志の力によって行動を開始する第三形式は、おのずと習慣への埋没をふたたびうながし、最後には第一形式に帰着する。ここで、退屈とはそれに気づいてしまうや否や、もはやどうあがいても逃れられないものとして描かれる。退屈していたぼくにとって、それはよくわかる。三つの形式を行き来して抜け出せない苦しみ、それは慣れ親しんだ観念として受け取ることのできるものだ。

退屈の第二形式のなかに長くいることは、ぼくを浮足立たせていた。そこには退屈と並んで快適さがあったにもかかわらず、それこそがひとを堕落させるぬるま湯であるのだと敵視して、その豊かさを放棄することを自分に課した。献身することのできる対象をみつけたと信じて、あわただしく環境を移動した。その心の動きは、大義のために命を捧げて後悔しないことを理想化する、原理主義の危険な規則に支配されていた。自分を見失って、見出したはずの環境への適応に失敗することは、必然であったといえる。

この本は、退屈することの苦しさを認める。それでいて、退屈でいることがなんらかの失敗を示唆するのではないかという疑いを退けて、気晴らしこそおおむね安定をもたらす行為であると肯定する。それは、みずからを強制してなんらかの信義に奉仕させるよりもすぐれた実践であるという。退屈しのぎの気晴らしのなかに楽しみを発見するのを待つこと。自分ひとりの世界を揺るがす力をもった存在がおとずれるのを待ち構えること。たとえば、劇場や美術館をおとずれて、自分の身体で別の世界を触れること。

仕事を止めて休養の時間を過ごしているぼくをなだめて、この本はあせることのないように引き止めてくれていると感じた。退屈を感じるのは信念を欠いているからだ、と合点する傾向がぼくにはあった。実際には、それは欠落ではなくて、普遍の側にあるようだ。

退屈を過ごすやりかたを描写するにあたって、マルクスの引用がぼくにはうってつけと感じた。マルクスは労働の廃止を主張せず、労働の再定義も主張せず、労働時間の短縮を訴えた。そして生まれる余暇を過ごすヒントとして、このような文章を残していると国分先生は紹介する

きょうはこれ、明日はあれをし、朝に狩猟を、昼に魚取りを、夕べに家畜の世話をし、夕食後に評論をすることが可能になり、しかも、けっして漁師、漁夫、牧夫、評論家にならなくてよいのである

これは理想を語るものであるが、実現可能な理想でもあるようだ。趣味を趣味にとどめて、職業からはつとめて遠ざけようとしている。アイデンティティを職業から構築しようとしないことの豊かさ。多様なたのしみをもつことの豊かさを語っている。「プロであるからには仕事を考えない時間はひとときもない」のようにいって職業上の利益を守ろうとする者とは距離をおいて、いくつもの職業をそれぞれ気晴らしのようにして過ごしたいものだ。

若い人たちがビジネスマンを演じようと夢中になるのは、退屈に押しつぶされないように、自分のアイデンティティをつとめて仕事とひとつにしようとする努力のあらわれといっていいだろうか。起業を理想化したり、起業家を偶像化するのも、忙しさ以外になにもない貧しさからの逃避だろうか。もっとも、これはかつてのぼく自身に向けた当てこすりでもある。映画を、小説を、音楽をたのしむことは幸せであるが、いまぼくがそれらに気晴らしをたのむとき、ある感情がきまって心を横切る。このたのしみを我慢することと引き換えになにかを得ようとしたが、得られたものは悲しみだけであった、と。メランコリックになっていることは疑いなく、その悲しさを忘れるまでのあいだは気晴らしに明け暮れることにするのがよいようだ。

仕事を止めて一ヶ月です

仕事を止めて一ヶ月です。一ヶ月前のきのうに契約を締めて、ロサンゼルスに飛び立ちました。

この一ヶ月のあいだ、いろんなことがありました。ロザンゼルスで病院にかかる経験をしました。お腹の痛みが散ってからは、おいしいごはんをたくさんたべました。安全に帰国しました。心療内科にかかって診断を受けることができました。映画館をひさしぶりにおとずれました。『アラビアのロレンス』を劇場でみて感激しました。『わたしの名は紅』を読み切りました。『スターフィールド』を遊びはじめました。バイク免許をとることにしました。

タバコを吸わなくなりました。努力してそうしたというより、盲腸で苦しんでいるうちに習慣を忘れてしまったみたいです。ストレスに比例して本数が増えているのを自覚していましたから、忘れて止まったことはストレスを手放せたことを意味しているのかもとおもいます。おいしいとおもって吸うときもあったけど、いらいらして吸ったり、吸いたくないとおもっているのに癖で吸ってしまうことも多かったようにおもうから、いちど習慣をリセットできたのは悪くないことのようです。

苦しい記憶は、時間とともに遠ざかっていくようです。ビジネスマンの演技をするひとが生活の圏内にはいってこないことは、心の平和をもたらしています。仕事相手を選ぶのに軽率だったなあと反省しきりです。元同僚と飲みにでかけて、平穏なおしゃべりをできたことは嬉しかったなあとおもいます。利害関係で結ばれない人間関係はありがたいものです。それを友人というんですかね。

自動車教習所に入校する

自動車教習所にはいった。普通二輪免許をとる。

「とにかく教習所に申し込んで免許とっておいで」と友達にいわれた。バイク免許ほしいなとぽろりと話したときのこと。「入校するのに意外と時間かかるし、さっさと取っちゃうのがいいよ。」

それですぐに教習所をインターネットで探して、よさそうなところに申し込んだ。入校はすぐにできた。適性検査を受けた。しかし...初回の教習を受けられるのは12月の初旬だ。いきなり四週間またないといけない。おどろいた。

1月になると冬休みを迎えた大学生たちによっていっそう混雑するという。初回の教習さえすぎればあとはぽんぽんと進むのか、それともだらだらと進まないのか。すこしだけやっかいだけれど、一歩だけ前進できたということにしよう。

教本を読みながら、はやく教習車に乗ってみたいなとうずうずしている。

オルハン・パムク『わたしの名は紅』

オルハン・パムクの『わたしの名は紅』を読んだ。

レパントの海戦に敗れたあとのオスマン帝国。細密画師たちは、ヴェネツィアからもたらされた西洋画の技法との接近に、葛藤する。それに接近して肖像画を描くことは、偶像を描いて信仰を曇らせることであるか。凡庸な市民や雑種犬さえ主題にする西洋の潮流は、アラーの栄光を描くほまれを曲げてまで従う価値のあるものか。絵画の技術的欠点のことを個性と言い換えて名声をあつめることは、欠点ひとつなく描いて伝統を守ることよりも栄誉あることか。目に見えるものを見ることは、暗闇のなかで見るよりも明らかであるといえるか。アラーはどのように見たか。アラーはなにを見せなかったか。

断章ごとにひとりの視点人物を設定して、彼らに語らせる形式がおもしろい。主要な関係者がものがたるのみならず、殺された男が屍のまま無念を語ったり、いっぽんの木の絵やいちまいの金貨が尊厳を述べる。げに、表題の『わたしの名は紅』は、紅色そのものが自分語りをする断章のことをいっている。おのおのがみたもの、口にしたこと、口にしなかったことのべつまくなしに語る。語る相手は読者である。二人称でこちらに呼びかけることがしばしば起こる。そして、読者に嘘を話すことはないようだ。妙技といえよう。その場かぎりの戯れというのでなく、長い小説の全体にそのルールを課して、形式として一貫させていることにすごみがある。ひとつの声に依拠しないで、いくつもの視点を張り巡らせながら歴史を語ることが、効果的な技術であるとみえた。

たったひとつの主題はここにない。いくつもの葛藤をよりあわせるようにして、ひとつのおおきな小説の世界がある。冒涜的な絵画を世に生み出さないための殺人がイスタンブルに起こり、その下手人を細密画を手がかりに特定しようとする筋書きがひとつ通っている。小説をおおきくしているのは、その周囲にひろがる挿話と細部の充実である。イスラーム世界の伝統があること。それにくわえて、ペルシアの詩と絵画の豊かな伝統があること。オスマン帝国はそれを継承して繁栄した。そしてその繁栄には陰りがみえはじめている...。

豊かな時代を謳歌したオスマン帝国が没落したことをわれわれは知っている。近代トルコは、西洋化の代償にイスラームの伝統をおおかれすくなかれ放棄したが、欧州連合への加盟はいまだ認められず葛藤している。閉塞感があるようにおもう。それはぼくの暮らす社会の閉塞感につながっている。すなわち西洋化しようと努力する社会であり、はじめから西洋でないことを決定的な壁として所有する社会であること。しかし、そのことをいまさらぶつくさいうことはすまい。それよりも、滅んだ帝国がかもした葛藤をその地の言葉で描いた小説が、なにやら普遍的な威厳をそなえた作品に結実していることこそが思いがけない幸福である。西洋をめざすことが劣等感に駆り立てられた果てしない徒労と、生まれ持ってしまった言葉と文化はなにやら貧弱な武器としかみえないときがあるのだけれども、それらが書きとる想像力のたまものが十分に強靭たることを示してくれる名作とこの小説をぼくは呼ぶ。

この作家は、何年も前に見かけたドキュメンタリー番組が彼をあつかっているのをみつけて、いずれみようと長く記憶しておいたものを先だって視聴したことでいよいよ興味を増やして、読むこととした: 東と西のはざまで書く~ノーベル賞作家オルハン・パムク 思索の旅~ - YouTube

心療内科を受診した

新宿の心療内科を受診した。知人に紹介してもらった。

緊急におとずれたわけではなかった。睡眠と食欲はもとにもどっているようにおもうし、たったいま取り憑かれている悩みというものもない。とはいえ、急減した体重はもとどおりになっていないし、いつふたたび不安に駆られないとも限らない。それで、あらかじめ病院をさがして、過去の症状を伝えておこうとおもった。

数年にわたって、波のようにおとずれる不調を飼いならそうと努力してきたと話した。産業医のカウンセリングを受けたこともあると告白した。ある周期によって調子が循環すること。気分が低位にあるときは耐えて乗り切ったこと。直近の事件は、いつもの振れ幅を越えて、行動不能におちいるまで気分を墜落させたこと。

状態としての鬱が存在していたことを認めてもらった。適応障害と名付けられた。休養を選択したことは賢明であると肯定してもらった。

真面目さややさしさに比例して発症しやすいものだと繰り返し強調された。ぼくがほんとうにやさしいかどうかということが先生にわかるはずはないはずなのだけれど、素直にうけとめると元気がすこしでた。休みをとることによって、ぼくが不真面目になるわけではないということも、つとめておぼえたい。

心理療法士によるカウンセリングを紹介されて、次回はそれを受けることにした。うまく話を聞いてくれる先生に当たることができて幸運だった。