ユユユユユ

webエンジニアです

駿台文庫の『新・物理入門』

ものしりの友達が教えてくれて、しばらく興味をもちながら手に入れていなかった物理の参考書を買った。

駿台文庫の『新・物理入門』は、高校物理の上級者向けの参考書とされている。しかしそれは端的に難解であるというのではなさそうにみえる。一般の教科書では説明を簡略化してすませるところをそうしないという態度で貫いて、結果として難解になっているようにおもわれる。計算してあらわれた結果を吟味すること。数式による抽象化だけをみて理解した気にならず、原理をよく考えること。それをよくうながしている。

みっつある序文はいずれもおもしろいが、「旧版の序」は物理学は世界を論理的に表現するためのひとつの形式であると宣言したあとで、こうやって学習の動機づけをおこなう。

筆者は、自然に対する物理学的な見方が最も優れた見方だとも、ましてや唯一の見方だとも思わない。しかし物理学が近代において最も成功した学問であり、他の諸学問も多かれ少なかれ物理学に影響されていることは事実だから、その基礎概念と論理構造の初等的部分の理解は、どの自然科学を学ぶためにも、やはり必要とされるであろう。

この教科書を信頼して最後まで読んでみようとおもった。きっとこれはそれに値する。粘り強く読むことを読者に求める本は見返りもおおきい。そんな気がする。

受験生が当然知っているべき公式のほとんどを暗記していない、という不利な条件はあるが、それもひとつひとつここで確認していけばよい。電磁気学で挫折した経験があるので、それをあつかう第5章までいければ幸運だとおもう。そこまでたどり着くことができれば、最後まで読み通せもするとおもう。

ひろい家にたったひとり

クリスマスの週末が開けた月曜日に帰省した。

地域のおおきなテニス大会に妹が出場することになった。それに付き添って母も家を空けることが必要になった。誰もいなくなった実家でインコの面倒をみる人頭として帰省を促された。大学生の弟でもアルバイトの妹でもなく、もうすぐ30歳になるぼくに白羽の矢が立った。それはぼくが気楽な身分を維持できている幸福な証であるような、しかしいっぽうでは、家族の事情を顧みるものはぼくのほかにはもはやなく、わがみひとつに面倒事を引き受けなければならないという暗示も含んでいる。

ともあれ、平日の新幹線に乗って帰省。北上あたりから積雪がみえはじめるも、奥羽山脈を越えてもひどく豪雪ということはなく、想像よりはまだあたたかい気候をしていた。むき出しのアスファルトをあるくこともまだできる。広い家のあちこちから、屋根を雪が滑り落ちてゆく激しい音がしばしば聞こえる。それはこの数週間にいちじるしい積雪をたくわえたことの裏返しでもある。

静かな家で静かに仕事をして過ごす。あいまをみてインコと遊んだりする。髭をおおきく膨らませてドイツから帰国したときもおびえずに肩にのってくれたはずの一匹は、声と顔の記憶をうしなってしまったようで、ぼくがケージに近づくたびにあわてて奥まった穴に逃げ込む。ストレスをあたえていないか心配している。もう一匹のより幼い個体は、幼体時代には黄ばんでいた身体をおとなの真っ白な羽で覆い直して堂々としている。はじめは好戦的であったがすぐに慣れて肩に乗ってくるようになった。

妹はもう一年とすこしで高校の課程を終えることになる。そのときがきたら、この家にひとりで住む気はないか? そういう目論見が陰に陽にほのめかされるようになった。この数年の話である。

広い家にいて、周囲は雪に閉ざされることを想像する。まるで『シャイニング』のようだ、と連想するのは、すでに気が滅入っている証だろうか。雪国に住むのは嫌いでないとおもうけれど、この家に長く住むのは気が重い。たった二日をひとりで暮らしただけですでにちいさな沈鬱が頭をもたげている。

幼いころからの記憶が濃く残る家は、取り壊すことをおもうと口惜しい。しかしそれを避けるために誰かがここに住み続けることは惨めなようでもある。口惜しさは曽祖父の代までの歴史の重みにある。しかしこれをさらに延命させることは、あとをますます重くする。そうであれば、いさぎよくほろぼしてしまうのがかえって気持ちよくもあるか。

継承の悩みというのは結局のところ、自分の代でそれを絶やしたくないというエゴのようにおもわれる。祖父はそのようにして父にそれを手渡し、父は愛憎を抱えつつもそれをぼくに手渡すかそうすまいか混乱している。希望を尋ねる形式でぼくに繰り返し問うてくるのは、あわよくば自分の手で終わらせないようにできまいかと期待しているようにみえる。ううむ。

思い出は遺産であるけれど、不動産は負債に属するとおもわれる。捨てられるものは捨てやすくたもつ。ものに肉体を束縛させない。そのようにしたい。

二日間のクリスマスパーティ

この年のクリスマスは週末に重なっていた。この2ヶ月で急激に仲の縮まった大切な友達とふたりで過ごした。

土曜日の午後に荻窪で落ち合った。タウンセブンの魚屋で鯛の切り身をふたつ買った。お肉ではなくて魚を食べようとあらかじめ決めていたのだった。

都立家政に住む知り合いがさつまいもをわけてくれるというので、夕方に駅前の喫茶店に出向いた。3人でカウンターに椅子を並べてしばらく話した。ぼくとそのひとは初対面だったが、なんとなく最初から打ち解けた雰囲気を持つことができた。いくつかのエピソードをあらかじめ伝聞していたことがよく作用したのかもしれない。とてもたのしい時間だった。

鯛はハーブをちらして野菜と蒸し焼きにした。さつまいもはレーズンと和えてサラダにした。フライパンで丸パンをトーストした。ワインオープナーを用意しわすれていたので、いっぱい目はビールで乾杯をした。いちどこれらを食べ終えてから、食後の散歩といって近所のスーパーに出直してオープナーを手に入れた。ギリシャ産の白ワインをあけた。強く鮮やかな黄色をしていて辛味がこのましかった。

ソファに身をなげだして「グリンチのクリスマス」を観た。これはパートナーにとっての思い出の映画。例年クリスマスに観ているのだという。短いながら充実した作品をひとつ知って嬉しくおもった。ぜいたくであることにクリスマスの本質はないというメッセージは、この日に確認するにふさわしい。

遅めのデザートに手作りのパイをたべた。ひとつのおおきな生地にリンゴとイチゴが半分ずつ詰まっていて、それぞれひときれずつ食べた。作ってくれたひとは焼き上がりがうまく整わなかったと嘆いていたけれど、生地から手作りでパイを生み出せることがあまりに魔法的におもわれて、ぼくはひとり興奮していた。おしゃべりをしながらおいしく食べた。

気づくとクリスマス前夜を祝うべき日はもう通り過ぎていた。クリスマスを特別に祝う祝祭ではないなりに、静かに親密な時間を共有するしあわせがあった。それがなんとなく「グリンチのクリスマス」の主題にもかさなってうれしい。

翌日ものんびりと過ごした。ゆっくりと起きて紅茶とパイで午後の食事をした。夕方からは新高円寺インドネシア料理店でおいしいナシゴレンを食べた。ビンタンビールも飲んだ。アイリッシュパブでギネスを一杯だけ飲んで、遅くなりすぎないように帰った。おしゃべりはやまなかった。お風呂あがりにハーゲンダッツを食べた。

もっと長く続けばいいのに、とおもうも、クリスマスは終わってしまった。しかしいつになく平穏で充足した週末だった。

大阪旅行 二日目

最後には大阪から東京までレンタカーで帰ることになった。終わってみればそれに尽きるといって不足ない旅行だった。

朝は堺筋線日本橋から恵美須町へ。喫茶「いずみ」でモーニング。おいしいハムトースト。続いて新世界の「ぎふや」で煮玉子の串カツなど。快晴でもこごえる寒風のなかを歩いて、西成へ。

三角公園で管を巻いた。炊き出しのボランティアが、最後の2杯をアナウンスしていた。背筋の伸びたおばあさんが歩いてきて、友人のパーマを指指して「薔薇みたいやな!」と。返す刀で「あんたはどんぐり!」とも。しばらくこのひとと話した。というより、彼女があれこれまくしたてるのに耳を傾けた。おしゃれな重ね着に加えて、首にも腕にも大量のアクセサリーをさげていた。75歳であることを示唆しながら、「わたしは19歳!」とも吐いていた。

真昼の飛田新地を通り抜けて、喫茶「カトレア」でホットケーキセット。しかしどの喫茶店もタバコがうずまいている。

天王寺に向かう。途中でアイコスの展示即売をやっていて、友人がワンセット買うのを見届ける。トイレに寄ったすきにはぐれてしまって、御堂筋線改札で合流する。

梅田へ。阪急でおみやげを物色。チーズビスケットというのがおいしそうで小さなセットを購入。東海道新幹線の調子が悪いらしいという第一報があって、まずは帰路の確保をと JR 大阪駅へ。すこし先をみて、16時の指定券を買う。

梅田でやることはもうないので新大阪にいく。コメダでも探して雑談しようとする前に、新幹線改札をみやるとたいへんな混雑になっている。空いている駅で切符を買っておけてよかったね、などといいつつ、ええもんちいを買い足したり、 551 の豚まんに友人が並ぶのを待つ。

ここで一部運休のアナウンスがあった。ぼくたちの切符は無効になった。そのうえ復旧も完了していないという状況。壁沿いに立ってぼんやりしていると、目の前をみるみる人の列が伸びていく。

もう一泊することになるかな、などとのんびりしていたが、友人らは明日はやくに出社しないといけないという。ここでレンタカーで帰るというウルトラC案があがる。にわかに活気づく男子が4人。ことここに至ってなんと楽しいこと!

ふたたび梅田へ。どこも車が出払っている様子があったなか、グランフロントビルのオリックスでセレナの予約が取れた。 18:30 の予約までいくぶん時間があるのは、前の借り手が 18:00 までの利用になっているからだという。ビアホールでソフトドリンクだけを飲みながら、マルゲリータとヴルストを食べる。

夕陽が隠れきったところで梅田の地下を出る。代わる代わる眠りながらハンドルを交換した。三重の湾岸長島から愛知を横断して、静岡の清水までを運転した。愛知の運転は怖いというイメージが先に立っておびえたものの、仕事は果たせた。 PA 内のヤマザキでハムカツロール。ソースが濃くておいしかった。

残りの道程は社内をカラオケのようにして陽気に過ごした。どうしてか誰も眠っていなかった。東名を世田谷でおりて、環七環八をめぐって高円寺にいたった。近所のマルエツでいちばんにおろしてもらい、 2:00 に帰宅。東京も寒く部屋が冷え切っているので、風呂をわかしてあたたまった。

パートナーが遅い時間までメッセージを送ってくれていた。彼女はこの日は学会に登壇していた。その晴れやかな日に不安をあたえてすまないような、しかし案じてくれていることに安心もするような、不思議な幸福があった。

大阪旅行 一日目

週末に大阪にあそびにいった。

羽田から JAL に乗った。歴史学の導入をはかる薄い英書を読んで空の時間を過ごした。伊丹空港から梅田まで向かった。たぶん新幹線のほうが早かったとおもう。前日入りしていた友人と合流。ひとの波。粉ものの店があんがい見つからずに駅前第三ビルでステーキを食べた。

淀屋橋に移って適塾を見学。小雨が降っていて寒い。ヅーフ・ハルマ、ガランマチカ、セインタキスの複製をみた。解体新書を訓読した。明かりがなくほの暗いこの建物で、昔のひとは一生懸命に外国語を勉強したのだなあ。雑魚寝部屋でも月明かりで本を読んでいたのだろうか。いまや窓の外は高層ビルの列。

大阪証券取引所のエントランスを見学してから、五感という洋菓子屋さんで甘味を物色。栗とチョコレートの瓶、レモンケーキ、カカオナッツをおみやげに買う。

梅田に戻り、「山本珈琲館」にはいる。店内はひろく出入りも多かった。タバコで煙っている様子など、渋谷の「人間関係」によく似ていた。モカマタリとアメリカンを飲んだ。駿台の「新物理入門」を持ちよって、パラパラとめくりながら話した。

18時に梅田のヨドバシ地下でもうふたりと合流。前日の忘年会からそのままやってきたのだという。ユニクロで着替えを買うのを見守る。

北新地の「咲扇」で会席。ごま豆腐、真薯、刺身、山海の味覚、まながつお、すっぽんを食べる。あおりいかの刺身をこのうえなく甘く感じた。昔であればいっしょに旅行していたはずの友人の話などをした。前の週にパートナーができた話もした。

御堂筋を下って中之島に出て、堺筋線日本橋にゆく。「大和屋」というホテルにチェックインしてから、心斎橋と道頓堀のあたりをうろつく。すでに深夜が近くて、通りの飲食店は閉まりがちだった。屋台のたこやきを20個たのんで、川沿いに降りてつついた。あいかわらず寒い。

コンビニに寄ってからホテルに戻る。大浴場を浴びにいく。あんがい混んでいて、脱衣所が蒸し風呂になっていた。拭えど拭えど汗が吹き出るから、ほとんど濡れたままで浴衣を羽織って浴場を出る。 缶のジンソーダを飲みながら、ワールドカップの3位決定戦をみる。クロアチアが勝った。

『ゾンビ』

ジョージ・A・ロメロダリオ・アルジェントの『ゾンビ』を観た。

学生時代に残酷映画の製作と啓蒙をしていた友人がこれの大ファンだった。彼ともっとも仲のよかったころは、どうしてか観賞していなかった。サウンドトラックの生演奏イベントがあるといって彼はニューヨークに遠征さえしていた。彼のように残酷映画に愛情を示したひとを知ると、ミーム的用法でゾンビを語るのは亜インテリを気取るようで、あいまいな気分になる。たとえば、ゾンビという言葉は西アフリカに起源があるらしい。そんなこともきょうまで知りはしなかった。

ゾンビの恐怖は示されるが、ホラー映画というほどの陰鬱さはない。いい意味で力がはいっていない。ゾンビたちは知性を欠いて鈍いから、彼らに襲われたものが必死になって泣き叫ぶということもほとんどない。かつてひとだったそれが次から次に湧いてきて、順番に脳を破壊していくという空疎な労働の苦しさが、恐怖よりも強く映る。

空疎な労働の果てに安らぎの時間はおとずれる。ゾンビのいないスーパーマーケットで羽を伸ばす。ただそれだけである。それもまた空疎である。それに耽溺することは果たして安らぎであるのかと、皮肉に語っているようにもおもわれる。たった4人だけの世界で奢侈を味わって満足できるのであれば、まあ幸せなのだろう。

抑圧は回帰して、スーパーマーケットはふたたびゾンビの楽園になる。悲劇のようにみえて、映画はあくまでカラッとしている。沈鬱であるよりは好ましい。パンク的な手作りの映像も優れている。しかし心から熱狂して受容するムードでいまはなかったようだ。ひとりでじっくり観るよりも、大人数でがやがやと観るスタイルにより向いているか。

サウンドトラックは、事実抜きん出ていた。

『ホワイト・ノイズ』を観た

ドン・デリーロの『ホワイト・ノイズ』が映画化されたというのでたのしみに観にいった。アップリンク吉祥寺にて。

大量のモチーフがほとんど生のまま動員されて、とっちらかったままに幕引きとなった。というと散漫を否定するものいいのようになるが、そうではない。そのスタイルはパンチドランクになるまで情報を浴びせてくる現実のメタファーになっている。ある問いがあって、思索をめぐらせてその問いに答えることを試みるのではなしに、次から次に問いを投げつけるうちに、3つ前の問いは霧に還っているというような...。スーパーマーケットはそのような消費が抽象化されてあらわれる聖域である。

なにかを選ぶことは、なにかを選ばないことである。潔癖なひとびとは、根拠の信仰にすがる。なんのために? 死を遠ざけるため。この「死」にとりつかれた家族が中心にある。思春期の子どもたちは偏執的な情報狂で、ラジオからもたらされる「最新の症状」をみごとに選択して発現させる。中年の妻は死の恐怖を抑える薬物ダイラーのとりこになる。科学が福音をもたらすと信じるが、その科学がなにものであるのかはわかっていない。自然を美しく説明するはずの科学を、言葉の俗世にひきずりおろしている。そのとき科学が弱まることは、イエス受肉して身を滅ぼすさまと似ている。

言葉、言葉、言葉。この映画のなかで、情報とは言葉である。すべてが言葉であり、言葉によってのみ描写が生じる。妻が不貞を告白(言葉で!)すると、不貞はあったことになる。そうされている。しかしその告白(言葉!)がなかったら? 不貞はなかったことになるのではないか?

言葉で説明されない情感でスクリーンに映るただひとつのものは、恐怖である。恐怖の瞬間は説明されず、ただそこに映る。しかし恐怖の根源を言葉で説明しようとすると、なにかが壊れる。言葉のコミュニケーションは、ありうべくもない。なぜならそれは、そこに介在するものたちが事前に了解した暗黙の基盤のうえにおいてのみ理解されるものであり、そしてその基盤はほとんど無限に再帰するからである。ファインマン博士が「磁石はなぜ反発するか」という問いに意見した映像がこのことを語って雄弁であるから、付録しておこう1

愛もまた言葉にならないものとしてよさそうに映る。しかし愛を交換するシーンでも、どうも言葉の操作が先に立って、言語に回収されないざわめきは映されない。もっともソシュールに言わせれば、そのざわめきも言語によって縁取られていることになるか。そうであるなら、この言語を慣習的言語と言い換えよう。そして詩的言語(あるいはナンセンス)をその対義語として定義しよう。この映画は慣習的言語のくびきから逃れていない。逃れることに失敗したのか、逃れることを拒否しようと試みているのかはわからない。逃れずに埋没していく極限に新たな地平が映ることはありうるだろう。しかし、これがそれであるのかもわからない。支離滅裂で自壊していくような製作は独特で他にないものとみえたが、混沌にみえるものもまた理性の支配を被っていることが見えてしまうので、熱狂はできない。

多くのものを説明するために、多くの情報を動員する必要はない。より少ない定理でより多くを説明しきろうとする蛮勇のほうがぼくの好みだ。