ユユユユユ

webエンジニアです

『キタミ式イラストIT塾 基本情報技術者』を読んだ

 大学生であったおり、就職活動に合わせてこの参考書を手に取ったことがある。そしてほとんど2割も読まずに匙を投げた。資格の存在を知るより先にプログラミングのアルバイトを始めていたから、資格試験の勉強では死んだ知識しか身に付けられない、と粋ぶっていたのだと思う。

 インターン先としてもぐり込んだある企業では、2つ年下のインターン生が応用情報技術者を持っているということがあった。すごいな、とは思ったけれど、そんな彼と同じ待遇で実務をさせてもらえるに足るだけのアピールを自分は持てているのだという自尊心を育てるだけで、相変わらず資格勉強は低くみていた。

 まあ、そのときにはそのときの視野の狭さがあったということで、それについてくどくどと書いても仕方がない。それよりも、かつてはひどく退屈に思われたのと同じテキストが、いかに体系づけられ、よく整理され、網羅的な参考書であったかということに新鮮な思いで気づけたということ、そのことを喜びたい。

 実に、計算機の基本をいかに知らずにいたかを繰り返し教えられた。半加算器と全加算器は言葉すら知らなかったし、補数を利用して減算を実現するというアイデアは、自分でそれを発想することはまず不可能だが、言われてみれば単純明快でたいへん気持ちがいい。クイックソートヒープソートまでカバーされていることには驚いたが、世間的にはこれらさえ基本の範疇なのだろうと襟を正す気分にもさせられる。

 要するに、情報技術者としての僕はまだまだ基本未満なのである。そしてそれを知って、かえって晴れやかな気分になれているところに僕の成長がある。

 最初の仕事に就くまでは、「実務経験」のような言葉を振り回して自分を大きく見せるのはひとつの戦略であった。資格試験を軽んじていたことは否めないが、それは自信のなさを隠す手段としての行為であったような気がしている。基数変換になんの意味があろうか? と息巻く様子は、数学嫌いの中学生のような態度だったろうと思う。しかしまさにイニシエーション的という意味合いで、それは僕が学生から社会人に足を踏み入れるための儀式として必要だったのではないかなともいまでは思っている。

 いま、「応用から基礎へ」と自分のテーマを定めてようやく、この資格のありがたみを知った。情報科での教育のない僕のような者にとって、これだけ網羅的に「基本」を学べるチャンスが、これだけアクセスしやすく提供されていることは幸せなことである。ネットをみわたすと python だとか aws の講義が無料で受講できたりして、それはそれで豊かな学びにはなるだろうが、電気信号レベルでの話から丁寧に、かつ体系的に学ぶ機会というものはなかなかない。それはキャッチーでなかったり、フックがないから、ということにはなるが、そうした技術をこそ「枯れた」と形容すべきなのだろう。はっきりいって、基本情報のテキストは「枯れた知識」のオンパレードである。墓場とみなすか甘味箱とみなすかは受け手次第である。

 この一冊をザッと眺めただけで学んだとするのも傲慢であるし、そんなことをいう気はない。しかしコンピューターを語るための基礎のボキャブラリーをひととおりインプットして、これでようやくスタートラインに立てた、というような実感はおおいにある。たとえば少し前まではちっとも使おうとすら思わなかったビット演算を、いまや当たり前のように使いこなせるようになっているところに、ほかならない自分の変化を見出すなどしている。

 仕事としてプログラムを書くうえで、それがどう便利にはたらくかはわからない。実際、低レベルの知識が要求される仕事をしているわけではないし、ここで得た基礎知識が仕事に直結するとは言わない。しかしそれでいいとも思っている。かつて退屈していた知識にあらためて向き直して、そのおもしろさに気づくことができたこと、そのことがなによりも自分の成長を感じさせてくれるし、この「おもしろい」をさらに掘り下げていくと、いったいそこにはどんな世界があるのだろうとわくわくさせられる。

 ひとまず出題範囲をひと巡りすることができたことになる。すでに持ち合わせている知識も多いから、わざわざ受験するまでのことはないようにも思うが、それでも僕は秋の試験を受けようと考えている。基本情報なんていまさらとっても履歴書に書いてどうなるわけでもないし、投資対効果という意味ではたいしたものにはなるまい。はっきりいって、そういった世俗の利益計算とは関係なく、試験そのものを目的として勉強したいという気になっている。誰に命じられるでもなく、またなんの利益があるわけでもなく、ただそれ自体を目的として学ぶ。ストイックなようでもいて、富豪的なようでもあるが、いずれにしても、そのプロセスを通り抜けた先に、また新しい自分を発見できるような予感がある。予感があるから、それに従おうという、それまでの話となる。