ユユユユユ

webエンジニアです

書くために読む?

上手に文章を書く。なんだか憧れはあるが、なんとも要領を得ないことを言っているようでもある。名文を味わおう。名作の書き出しと文体に学ぼう。俗ではそういうことが言われていたりする。しかしそれでは書くという目的が読むことにすり替えられているようである。書くために読む。それは自明のようであって自明でない。いったいどういうことだろう。

読めば読むだけ書けるようにはならない。読んだ通りに書けるわけではない。本を読んだりはするものの、たいした読書家であるわけでもない。ましてよく書くという目的論を抱えて読むことはしていない。

生活のなかで文を読んで、言葉の使い方を直感的に覚えるくらいである。それは単語を覚えるのもそうだし、文法事項やレトリック、語源、句読点の打ち方もそう。自分のスタイルとの違いを見出して、これは好きだとかこれは嫌いだとかガヤガヤとおもう。

あらゆる言説は読むことのできる対象であって、微視的に観察すれば自分とことなるスタイルを見出すことはとめどなく可能である。ミクロなディテールをいちいち比較して、「ここはすごい」「ここはだめだ」と鑑賞することは、それ自体ではほとんど意味のないゴシップである。それを意識するようになってからは、些末なスタイルの違いにこだわって読むことを止めてしまわずに、じっくり読み進ることを心がけた。はじめは読むのが苦しかった作家が、やがてリズムの周期を把握して、スルスルと読めるようになり、ついには爽やかな読後感を持ちさえすることもあった。よもやまはなしが繰り広げられるなかに、固有の癖、執着の傾向がでるのをみるのはたのしい。それが読んで学ぶことであるのか? しかし彼らのように書くことはできまい。

ひとの話を読む。おもしろい話の作りかたや、使いたい単語や文型のリストが、じわじわと形をとる。そしてやがてこんどは自分の番がまわってくる、そのときにここぞとばかりに自分のスタイルが出る。それは出すというよりはおのずと出る。そこではわざと接続詞をとってみたり、見つけた単語をそのまま書きつけずに類語辞典をあたったうえで語を確定させたり、述語の接続でリズムを計ってみたりする。そうして自分のモードが形をもつ。

上手に書くために読んでいはしないが、読んでいるときには頭をはたらかせているし、書くときにもおなじような頭の動きがある。話すときにも、相手のことを考えながら丁寧に話すこともあれば、自分の都合で放言することもありつつ、下意識では次の言葉のデリバリーを考えている。媒介するのはいつも言葉である。ニンゲンは言葉を使わずに考えることはできない。因果を曲げると、頭をつかうために話し、読み、書く、となる。このうち書くことばかりを理想化するのは、こちらの執着の投影にすぎない。そう。

執着。それはすなわち、「偉大なアイデアがここにあるのだ」という衒いである。スマートに表現しようとおもうからなにも言えなくなる。そういうひとは少なくないらしい。同様に、正しく優れたナニカを書きたいと願うほどに書く手は減速していく。言いたいことはあるのにうまく言い表せないというとき、それは文字通り「うまく」言えないだけであって、「うまく」やろうとすることを捨てれば気は楽だ。ひとことでクリティカルな表現を与えようと目指すことは止めて、吉田兼好のスタイルで、すなわち、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく、述べればよい。言葉の価値を過大にせずに、気楽にやればよい。

おしゃべりなガキがいて、いくら静かにさせようとしても頑として聞かないので、「そんなに話してばっかりいると、身体から言葉がどんどん出ていってしまって、大人になるころには空っぽになってしまうよ!」と叱られた。するとガキはすくみあがって一切口を利くことをなくして、たしかに空っぽのニンゲンができあがった...。そういう小話を聞いた。

与太話であるものの、しゃべりすぎることへのこの怯えというのはあんがい切実なことを言っているような気もする。間違ったことを言ったらどうしよう、空気を壊したらどうしよう、滑ったらどうしよう。それを恐れてなにも言わない。書かない。しかしいずれにしても自分の番は回ってくるのである。そうであれば、あらかじめ多く失敗すべしというクリシェは有効にみえる。つまらない話を繰り返すほどに話術は向上する。つまらない本を読むほどに読む目が肥える。つまらない文を書くほどに前よりはいくらかましなものが書ける。かくのごとし。

つまらないかどうかは主観にある。気の持ちようであって、おもしろきこともなき世に、とみずからそれに楽しみを探すことが健康的である。それがものを楽しくするならばやればいいだけであるのに、つい欲を出してかえって満たされないおもいをもつことはたやすい。楽しく書く、とさえいわずに、言葉遊びのゲームでひとりキャッキャと喜んでいる。それくらいの気分でいて、変に文学賞を目指したりはしない。それがいい。