ユユユユユ

webエンジニアです

ラップ・アップ・ニーマルニーマル

1月

 ベルリンからブダペストまで鉄道旅行をした。大陸はどこまでもつながっている、という素朴な感動をえた。滞在したのは次の7都市。

滞在記は私的な日記にのみ書いた。この頃はまだブログを持っていなかったため。

2月

 アテネ・カイロ・ローマへ旅行した。まだコロナの存在感は薄かった頃のこと。いま思えば平和で幸福な旅行だった。

 旅行の前後では塩野七生の古代アテネ衰亡史を読んでいた。文明も民主主義もはかないものかという悲観と、いまある文明はきっともっとうまくやれるだろう、という楽観。そのどちらであろうと、僕ひとりが思い悩んだところで何も変わらないだろうという諸行無常の感覚。

3月

 外務省からドイツに滞在注意報が発令され、渦中のドイツから帰国した。帰国直前のデイリー感染者は200-300人。これが帰国後とんとん拍子に1000人、1万人と拡大してしまう。

 帰国後は秋田の実家に滞在していた。国内はいわずもがな、ヨーロッパ・アメリカの方からはいっそう陰惨なバッドニュースが伝えられ、気が滅入ってしまう。

 このころ Qiita を退会してブログを開設した。

4月

 松坂和夫『集合・位相入門』を読む。序盤の100ページほどのみ、わかるまで食らいつくような態度でじっくり読んだ。ある時までてんで読めなかった文章が、一瞬のひらめきによって単純明快そのものに変貌する。そんな体験が数度あった。どんな分野でも、専門書を読むのには教育と修行が必要であると知らされた。

『カラマーゾフの兄弟』『燃え上がる緑の木』と大長編小説を立て続けに読んだ。

5月

 前年から少し触っていたC++を使って、 AtCoder に初挑戦した。 Ruby は使わない縛りを自分に課して、プログラミングの感覚をイチから鍛え直そうと努めた。過去問を解くのにも熱中していた。

 エージェント経由で業務委託の面談をうけた。すべての面談がオンライン化していて、楽ではあったが結果は出なかった。3社を受けていずれも落ちる。心の準備がまだできていないのだろうと諦めて、もうしばらく勉強期間を継続することにする。

6月

 1年ぶりに東京に戻る。このころは勉強内容をまとめたブログ記事を毎日投稿していた。記事を公開することに対する心理的障壁は劇的に下がった。

 以前より興味のあった Hanami フレームワークを試してみたり、『クリーン・アーキテクチャ』を再読してレイヤリングの考え方を再訪したりしていた。

7月

 縁あって以前お世話になっていた会社から業務委託案件を受注した。月初から稼働開始した。

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 Project Euler に初挑戦し、50問までトントン拍子に進められた。ここでも C++ だけを使う縛りを自分に与えていた。

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8月

 nand2tetris に取り組み始めた。

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 フィリップ・K・ディック作品をいくつか読んだ。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』『高い城の男』そして『マイノリティー・リポート』。

9月

 森美術館スタア展をみにいった。顧客体験としてよいとは思えなかった。作品というよりは、もっぱらオペレーションの問題である。広告費が大量投入された美術展は地雷と思うのが無難か。

 勤労・学習のどちらにおいても、モチベーションが低下してしまった時期であった。なんのために働くのだろう? というようなことばかり考えていた。

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 ジム通いを再開した。人生初のパーソナルトレーニングも経験した。結局のところ、学習効率を高めるにはプロに教えを請うことである。生徒としてのアティチュードには注意している。自我は消し、トレーナーの言うことは神の啓示と思って取り組むのがよい。「コーチャビリティ」という概念はあとから知ったが、要はそういうことだろう。

真田丸』を見るべくして、毎週ツタヤに通っていた。ストリーミング疲れした精神にとってツタヤはオアシスである。古典も駄作も、アイウエオ順にソートされてフラットに陳列されているのは荘厳である。推薦エンジンに馴致されるあまり、「自分の観たい映画は自分で決める」という最低限の主体性すら失ってはいまいか。ツタヤは救済である。

10月

 転職活動を開始した。労働、運動、企業研究に明け暮れた月だった。この上なく合理的な生活リズムだったが、振り返ってみると無味乾燥にならざるを得ない。

11月

 志望企業をふたつに絞り、月末には一社から内定を得た。

 勤労感謝の日が三連休にあたるので、大阪旅行を計画した。大阪らしい何かを読もうと思って、谷崎潤一郎をまとめて読んだ。『細雪』『卍』『少将滋幹の母』そして『吉野葛』と読破。大長編ながら読みやすい名作である『細雪』と、技巧を技巧と思わせない熟練味をたたえた『少将滋幹の母』がお気に入り。

 大阪では太陽の塔を見物した。異形の造形と突き抜けたスケール感で、人生ベスト級の芸術体験を味わった。並いる現代作家のなかで、どうして岡本太郎ただひとりがこれだけの仕事をできたのかはミステリーである。そしてそれがミステリーであるゆえに、これだけの成果を国内で再現することは永久に不可能だろうと思う。

 芦屋の谷崎記念館も訪ねた。直筆原稿、書簡のたぐいをみた。飼い猫のシャムに「タイ」と名付けていたということを知って、いいセンスだと思った。

 月末にはツイン・ピークスの旧シリーズを一気見した。

12月

 転職の意志を業務委託元に伝えた。ありがたいことに引き留めてもらうことになり、改めて自分の行く末を考える機会となった。いろんな人と話し、異なる観点からキャリアについてのアドバイスをもらえたのは財産である。自分の直感を信頼して、転職の道をとることに結論づけた。

 分散システムについての概論書である Designing Data-Intensive Applications の読書に取り掛かる。

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 図書館に通い、海外小説もいくつか読破した。話題作とはいえハードカバーは高価だからと敬遠していた中国産SFの『三体』も読んだ。結果、まんまとファンになってしまい、きっと第三部が出版されるときに、あらためて買い揃えることになりそう。

ベン・ハー』『風と共に去りぬ』『サンセット大通り』と3本の古典映画もみる。名作と呼ばれるだけあって内容は大充実である。人海戦術と言っていいほどに潤沢なモブの使い方、圧倒的に配慮の行き渡った衣装や小物にセット、そしてそれらを「これでもか!」と惜しげなく披露してくれる俯瞰ショット。すべてが最高で大満足だった。平時に鑑賞するには重すぎるからこそ、年の瀬にまとめて味わえて幸福であった。