ユユユユユ

webエンジニアです

放送大学の継続入学をしないことにした

もともと選科履修生という1年間だけ在学が許されるコースにいて、はじめの計画ではこれを2年間こなして聞きたい講義を聞ききる、というつもりだった。いまがその継続のタイミングにあたり、オンラインで科目選択をして学費を納入するだけという手続きをするところで、いまいち魅力的な講義が見当たらなくなってしまっていることに気がついた。

微分方程式自然言語処理、コンピューターグラフィクスあたりをもともと希望科目としてバケットリストにいれていた。興味そのものを失ってはいないものの、それらがどうしてもいま手に入れたい知識ではなくなっていることに気づいてしまった。切実さを欠いたままで、10月から年明けまでの3.5ヶ月をふたたび予習復習の洪水のなかで暮らすことはできないとおもった。

興味のあることは多くあるけれど、そのうちどれにじっくりと取り組んでみたいかが定まっていない。そういうときに、とりあえず視野を狭めて深さを探求するよりも、視野をひろくもって柔らかく待ち構えたい。そんな気分でいる。よくもわるくも、世俗の地位向上とは離れたところの興味にしたがって好奇心を満たすことのできる環境を確保できているのだから、気長な独学者として過ごしてみることにする。必要があるのであれば、ふただびやる気になったときに復学すればいいまでの話である。それが許される制度にまたがって自由に選択できることはありがたくおもう。

クセナキス生誕100周年プログラム

サントリーホールのサマーフェスティバルというイベントのスケジュールのうち、金曜日の夜のプログラムを聴きにいった。サントリーホールを訪れることも、平日のプログラムに出席することもはじめてだった。一階席の二列目という近さでステージを拝めた。

クセナキスの演奏会があると知って、ぜひに聴かなければならないという切実さを持った。昨年の6月5日にめぐろパーシモンホールにて加藤訓子さんによる「ルボン」と「プレイアデス」のパフォーマンスを観にいって以来のプログラムだった。そのときの感想はブログには投稿していなかった。

「6人の打楽器奏者のためのペルセパッサ」と「オーケストラとテープのためのクラーネルグ」というプログラムだった。前者はイサオ・ナカムラが率いた。後者はクラングフォルム・ウィーンをエミリオ・ポマリコが指揮した。バイオリンの Jacobo Hernández Enríquez さん、ピッコロの齋藤志野さん、バスクラリネットの Bernhard Zachhuber さんといったプレイヤーが印象深かった。

理論を正確に理解して音楽の構造を捉えるというのではなく(そんなことはもとよりできない)、フリージャズとモードジャズを味わうやりかたで聴いていた。暴力的な音楽の瞬間と、モーダルなハーモニーの美しさを記憶した。マイルス・デイヴィス古代ギリシアの旋法に依拠したことと、クセナキスがみずからのルーツとして古代ギリシアの音楽を研究したこと。もしかするとそこにはっきりとしたつながりがあるといえるのだろうかと印象に持った。こんど図書館にいくときにでもすこし調べてみよう。

コンサート中の細かな出来事とその印象は、この日の夜に紙のノートに日記を書きつけた。それをここに要約しようと思ったが、どうも散漫にしかならなそうであるので止めた。大崎清夏さんが日記を多く書いて、それをそのまま発表せずに寝かせることの意味がわかった気がした。それはまだ消化しきれていない情報を、文字として一時的に貯蔵して、熟成させるようなものかとおもった。その工程を踏まえずに整理に着手することは、きっとうまくいかないだろうという直感がはたらいた。

知的に激しい刺激を与えられるコンサートを観覧できたことを嬉しくおもう。ただし金曜日の夜のイベントはどうしても疲れが出てしまった。それだけがやや無念であった。演奏中に眠ってしまうことこそなかったが...。

大崎清夏さんの話し言葉

詩人・大崎清夏さんのオンライン講演を聞いた。自分の言葉の体系を持っているひとの、言葉の量よりもずっと大きな存在感を画面の向こう側に感じた。このひとのように丁寧に話せるようになりたいとおもった。

自分のことを語りたいという虚栄と俗情。しかしついレトリックを厚塗りして、肝心のイメージが発散する。そういう話し方をしてしまうことはある。本当にいいたいことがあるというよりも、会話の順序を奪われることに怯えて、それを独占しようとして饒舌になっている自分を発見するときもある。穏やかに話していたいとおもっているのに、気づくとどうして空間を埋めるオブセッションに囚われていて、しかも言葉を費やすほどに本当のことからは遠ざかっていく。

英語を話しているときの自分は、少年時代の自分をもっともよく反映しているとおもう。信念に支えられた本当のことを一生懸命に話して伝えようとする。それは態度として少なくともあって、言いたかったことがはっきり伝わったという満足は、外国語を不自由に話すときにもっとも強く持つことができる気がする。英語で書き始めると、大人のエゴが強く出る。日本語で話し書くときはよりひどくどうにもならない。この文章がそうである。

手元のノートに日記を書きつけるだけではとどまらずに、そのイメージを詩に抽象化することを選ぶこと。それをインターネットに公開することを止めて、印刷される媒体に投稿するようにしたこと。外との関係が開いたり閉じたりする運動はなにがもたらしているのか。それを尋ねてみたいと思ったが、質疑応答のセッションは質問を練っているあいだに挙手が殺到、ただちに発言権は締め切られ、整理券が配られて、僕は機会を持てなかった。すこし残念がったあとで、それは聞くまでもなく、たしかな受け手に配達したいというひとつだけの理由であるかとおもった。この追い詰められての思い込みは、かえって説得力を蓄えはじめて、それであれば不用意に挙手しなかったことはそれでよかったようにもおもった。

支配することと支配されることが簡単にひるがえってしまうときに、おおむね過半数の心が自分はこちらに属していると世界を把握するその自意識はあてにならない。自分の定義をナイーブに信じない。気分を過信することもしない。起こってしまったことの最期を看取るようにして観察する。おおやけの文体と、秘密の真実を記録するための文体があって、おおやけにならないことはなにもなかったことと同じではない。

成績通知書が届いた

履修した4科目とも一番上の評語を受けられた。マルエーという記号がどうもピンとこないけれど、定義によると90点以上となっている。通信課題で思わず低い点をとってしまったりしたことは、期末試験の成績でカバーできたらしい。その期末試験でも、最後の設問で留数定理をうまく使えないパターンに出くわしてしまってそこでの失点は覚悟していたが、トータルではそのミスも帳消しにできたようす。

結局のところはどの科目も過去2回分の試験問題を解いたことで十分対応できた感覚がある。はっきりいってテキストの内容を十分に理解したという自信は持てておらず、しかし結果としては成績優秀と扱われているわけで、張り合いが持てないような気分もある。成績主義の世の中はそんなものであるといえばそれまでの話で切ない。

手取り足取り優しく補助して自尊心をはぐくむことよりも、困難な知的問題に立ち向かわされる方式のほうが、僕にとっての教育としてはありがたい。ただ世の中の需要はそうではないのだろうと了解もしている。

さてこれにて放送大学の学生として一年間の身分が切れることになる。もちろん学費を追納してさらに履修を継続することはできるいっぽうで、どうしたものかと悩んでもいる。もう一年続けるにしても、これまでそうしてきたようなストイックな態度で向かうことができるかどうか不安がある。気安く取り組むくらいがちょうどいいのだろうが、いったいなにを求めて勉強をしたいのか、その動機を見失っていることに不安の根がありそうだ。あまり考えすぎずにおくのがよさそうではある。

模様替え

寝室と書斎を入れ替えた。引っ越してきたときに小さい方の部屋を書斎にあてていたのだが、一日のより長い時間を過ごす部屋が小さくて、より大きい部屋は寝起きするだけというのが味気なく、気分転換をすることにした。

もともとぼんやりと計画していたものを、早起きした日曜日に思い立って実行した。ベッドのフレームを移動するのに、手持ちのドライバーではネジが固くて緩められず、隣駅のホームセンターまで電動ドリルを調達しにいった。解体し、運搬し、組み立てる。日差しこそなかったものの高い湿度に汗をふきだしてはタオルで拭いながら肉体労働をして、昼前には完成した。思い立ってカーテンも交換することにして、オンラインショップで注文した。それは金曜日に届くことになっている。

本当のところは、小分けの部屋を使い分けるよりも、同じ面積で壁のない部屋を広く使えるほうが融通がきくだろうとおもう。子供でもいるのであればこそ異なる需要はありうるが、子供がもしいたならばと想像するに、それはそれで手狭とも思われる。結局のところは東京の狭い土地に住むことが息苦しいというだけのことであるのかもしれない。広すぎて持て余すことがあるかどうかはまだ知らないが、少なくとも部屋ごとに冷暖房を管理するのが億劫であることは知った。

罹患

京都に一泊した翌々日に発熱した。発熱外来を受診して、陽性の診断を受けた。保健所に連絡して、自宅療養を指示された。

めったにない高熱を経験した。40.5℃に張り付いていっこうに解熱しないとおもわれる時間もあった。気絶するように意識を失って、気がつくと汗まみれになっていたりした。ロキソニンを6時間おきに服用して、3時間の安定と3時間の高熱を丸二日ばかり繰り返した。

高熱はそれで収まりつつも、微熱はその後数日も収まらなかった。咳と喉痛はあとからおって出てきた。微熱は一週間をかけて収まった。気管支炎らしい咳はまだ残っている。

映画やドラマをみるために身体を起こす元気も出なくて、療養中はひたすら活字を読んでいた。京都で読んでいた『ダロウェイ夫人』を読み終えた。そのあとフォークナーの『響きと怒り』を再読した。これは収穫だった。感染していなければまさか読み直すこともなかっただろうとおもう。

発熱があるあいだは苦しかったものの、自宅に閉じこもって療養した時間は静かで豊かだった。発症してしまったものは仕方ないと開き直って、自分本位の時間を過ごした。感染してはいけないという切迫感に張り詰めていた気分が、いざ感染したことによってかえって楽になったような気さえする。そういう心の機微に気がついてバカバカしい気分にもなった。

The Sound and the Fury by William Faulkner

いちど通読したとおもわれる痕跡が残っていた。難しい単語にマーカーで下線が引かれているのである。

学生のころに購入して、夏休みかなにかの折に第一部を読んだのは覚えている。そこで挫折した記憶があった。コロナに罹って寝込んでいるほかなにもすることのない盆休みに、もういちどこれにチャレンジしようと持ち出した。驚くべきは、第一部で挫折したという記憶に反して、通読しているらしいことである。全編を通してハイライトがついている。

そのわりに話はなんにもおぼえていないのだ。クエンティンが自殺するということだけは覚えていたが、それは単に有名な話だから覚えているにほかならない。入水のシーンが直接には描かれないことを忘れていたのだから、やっぱり読めていなかったんだろうとおもう。

とにかく読めていない。間違ったメモを大量に書き込んでいて、混乱しながら読んでいたことが伺える。それを踏まえて、前回よりは誤読も減らしてよく読めるようになったとおもいたいところ、やっぱり重大な勘違いをしていたことが今回もあったりした。それは通読したあとに、アメリカの学生向けの学習サイトでアブストラクトを読んで確認した。

まずジェイソンを善玉とみなしていた。ハードボイルドなダークヒーローのような存在とおもって読んでいたが、よく検討すると男らしさを傘に来た卑劣漢である。同情的にみえてしまうのは、彼が一人称の立場を占めているからであって、フォークナーが哀れみを寄せているわけではない。ケチンボで、偏狭で、人種差別主義者。コンプソン家の没落を完成させる人物。叙述のトリックに足を奪われて、そのヨコシマな描かれ方に目が向いていなかった。

第一部の読み解きもやっぱりぜんぜんだめだった。いちど通読して登場人物たちの名前と年齢と性別をよく整理してからあらためて読み直さないとなにもわからなくなる。たとえば、最初に読むときにはクエンティンが男なのか女なのかでまず混乱する。モーリーおじさんとベンジーの解明前の名前がモーリーであることも混乱の種になる。父親がジェイソン三世で、その子がジェイソン四世というのも難しい。そんなのばかりだ。第三部でジェイソンと対峙する赤いタイの男が第一部ですでにあらわれていたりすることも気づけていなかった。いや、知りもしないので気づけるはずもないのだが。

かくのごとく極めて読み解くのが難しいということはさておいて、答え合わせさえしてしまえばとんでもなく一貫した主題がはっきりと整合していてすさまじい。キャディの汚れた下着に象徴されるモラルの破綻、騎士道精神を守ろうとせんあまりに狂乱して破滅するクエンティン、資本主義の現世利益を追求して俗な小物と堕すジェイソン、キャディの喪失によって家族における秩序の拠り所を失い嘆くベンジー。この四兄弟のうち三人までを語り手として採用して、キャディのヒロイックな姿を多面的に浮かび上がらせる。また信仰深いディルジーをしてこの家族の没落を観察させる役割を与えてもいる。