Mrs. Dalloway by Virginia Woolf
紀伊国屋の新宿南店にてペンギン・クラシックス版を買った。おもしろく読んだ。ウルフを読むのははじめて。詩的なレトリックが頻出する文章を原書で読むことができるのは幸運であった。
たぶん和訳で読んでいたら途中で飽きてしまっていたんじゃないかとおもう。それは急いで読もうとしてしまうためである。わかっていないことがあるにも関わらず、なんとなくわかったふりをすることができるから、そうよそおって突き進んでしまうのである。対して、外国語で読んでいると、書かれている話題を見失ったときに何度でもページを戻って状況を確認してふたたび読み直すことを躊躇しない。
小説のタイトルからみて、ダロウェイ夫人その人が主役であって、彼女の口から彼女の世界が語られるという体裁を想像していた。実際にはそうはならない。それどころか、冒頭の50ページばかりを過ぎると、クラリッサ・ダロウェイに直接のフォーカスは当たらなくなる。セプティマス・スミスのPTSD、ルクレツィア・スミスの結婚への後悔、ピーター・ウォルシュの打ちひしがれての逍遥、バートン婦人の昼食会、エリザベスとミス・キルトンのお買い物、などと群像のありさまをテキパキと併置していく。20年代のロンドンのある夏の一日のスナップショットを、ビッグ・ベンの鐘の音が街のあちらこちらで聴こえることを利用して、多面的に描いている。多くの作中人物を造形して、おのおのの人生と記憶をそつなく提示する手さばきが素晴らしい。
作中人物たちは、若い日の印象と現在の立場によって描かれる。上流階級の社交が舞台となっており、登場人物たちはもっぱら50代の男女である。彼らが若い日々の恋やありえたかもしれない異なる結婚関係を想像したり、現在の決して不幸せではないがいまいち満たされない心地もする生活に思いを馳せたりする。子供を作って、自分の美点は取り入れて、嫌なところは反面教師にしてほしいと願ったりしながら、おおむねその子も親と同じようにどこかすこし満たされない人生を歩むことが示唆されているようである。もちろん、それこそが凡庸な幸せの形であることは、配偶者も子も持たないピーター・ウォルシュの存在によって強調されている。つまるところ、人生とはつまらないばかりであって、社交くらいにしか楽しみの価値はない。そういっているようでもある。
祇園、雑居ビルにある居酒屋
夏の関西らしいものと考えて、はもを食べたいとおもった。
適当に電話をかけて予約して、向かってみたら雑居ビルのなかの小さい居酒屋だった。地方にこの手の店がたくさんあることは小学校の同級生のうち何人かの父親がそこで板前をやっていたので知識としては知っていたのだが、ひとりでこういう店にはいった経験は持っていなかったので、おどおどしながらその気持ちは隠してひとりで乗り込んだ。
10名ほどを収容する店のなかに僕の他の客はまだいなかった。陽性の検出率が高まっているということは知識として知っていて、あまり人気の多いところには出ていかないように努めて意識していたので、静かな店で食事ができることは願わしいものであった。もっとも、どこから来たんですか、と京都のアクセントで店主に尋ねられて、東京から来たと言うことには肩身の狭さもあったが...。幸か不幸か、店主はマスクをつけておらずに、おそらくそういう草の根の政治意識は持っていない様子とみえた。
この店は中年の板前兼店主と若い女性アルバイトの2名で回転していた。いちげんさんの僕にとっては店主もアルバイトも等しく僕よりはウワテの存在としてみえる。いっぽうで、やがて日もすっかり暮れて金曜夜のゴールデンタイムを迎えるようになると、地元のご老人コミュニティとおもわれるグループがいくつかやってきて気炎をあげ始めた。僕からみる視界では、板前は明らかにこの店を取り仕切るボスであって、この場の空気を逸しないようにと緊張感を高めさせる父親的存在であるのに、その店主の様子をこんどはみていると、老人グループのワガママにたじたじにされている様子で、立場と年齢によって演じる役割をダイナミックに変化させる様子におもしろみがあった。
カウンターの端に僕はいて、反対側の端で、どのような関係かわからないが京都弁のあけすけな女性とふたりで飲んでいる男性は、身体の雰囲気は70代のものであるのに、ポマードを塗って黒黒しく、男盛りの生命力が弾けている頭髪の量は30代のものだった。スナックというものも僕は訪れたことはないが、きっとこのような空間であるのだろうなとおもった。
はもは湯引きでいただいた。ふわふわしたなかに骨切りの余韻を感じさせる硬さが独特の食感を持っていて、他のどの魚とも異なるような味わいがあるが、魚の肉そのものの味はいまいちわからず。ひとくちだけ梅肉をつけずに食べていれば、はも特有の味もわかったかもしれないが、梅がまたおいしいものだからそれはできなかった。その他、鮎の塩焼き、湯葉の刺し身、魚そうめん、さばの生寿司、京鴨をいただく。いずれも美味にて満足。
手書きのメニュー表には金額の記載がなかったが、まあぼったくりということもないだろうとおもって適当に頼んでいた。しかし現金のみの会計となると、普段からそのような店で食事をすることがほとんどないもので、財布のなかには1万円しか紙幣を持たなかった。勘定は7800円。味に見合った額でありつつ、もうすこし頼みすぎていたら支払不能に陥るところであった。このヒリヒリ感は学生時代の海外旅行を思わせる。
支払いを済ませてふらりと出ていこうとしたところ、あれえお客さん来たときに傘持っていませんでしたっけ、と店主の記憶力に助けられて忘れ物をせずに済んだ。おおきに、と板前に後ろから見送られて、アルバイトの女性はエレベーターの前でお辞儀をして見送ってくれた。それらが紋切り型の接客であるとは知りながらも、この小さな店の去り際の印象としてはまことによいものであった。
Brian Eno Ambient Kyoto
金曜日に京都にいって、ブライアン・イーノの個展をみてきた。開催がアナウンスされたときから関心をもっていて、もとは妹が京都大学のオープンキャンパスに参加するのに合わせて訪れるつもりでいた。それが大学の事情で中止となったため、日程を変更してひとりで東京から向かった。平日昼の東海道新幹線は、出張客で指定席は多く埋まっているいっぽうで、自由席のほうは空席がかえって多かった。窓際の席にいて富士山を拝めたはずなのだが、弁当を食べていて見逃した。
雨の予報に反して京都はほどよく日が照っていた。駅から徒歩でまもない中央信用金庫に到着すると、会場の入口にて予約の確認をされた。予約制ということを見落としていたが、きょうは飛び入りでも見物できるとのことで、平日に訪れたかいがあった。
イーノのビジュアルアーティストとしての仕事を拝見するのははじめてであった。展覧会のウェブサイトは、音楽家であるというアイデンティフィケーション以上に、彼が視覚芸術の分野におけるパイオニアであることを強調しているが、あくまで僕にとって彼は音楽家であった。ただし、音楽制作のプロセスに不断に備わる偶然性をコントロールできているかのように、いくつものスタイルで繰り返し成功を生み出している様子からみて、きっとなにを作らせても優れた芸術家であることには変わりあるまいという揺るぎない信用を持ってもいた。
イメージの流転と循環。変化の生成。長い周期による不規則な反復。暗い展示空間のなかに光によって形作られるインスタレーションは、いずれも一面的に固定されたイメージは持たずに、刻一刻とその容貌を変えながらも激しい転覆は決して引き起こさない。ゆっくりと変わり続けて、微視的にはなにも変わっていないようにみえるのに、やがて気づけばはじめの状態からは大きく飛躍していることに気付かされるような変化が、作品に内在している。そしてその変化は、単細胞生物が多細胞生物に移るように線的な進歩を伴う変化ではなくて、春夏秋冬がめぐるように、表面的な相を変えながら本質的にはなにも変わらずに循環するだけの、円的な変化である。光と音によって演出されたインスタレーションはそのような印象を与えた。
変化とは常にそこにあるものであり、それが完了したとおもうのは認識にすぎない。そういっているように見える。万物流転というのはほんらい無常を想起させるものであり、変化とははかなくも止まらないものである。醜さから生まれた美が、ただちに滅んでいくありさまをみよ。そこでは美が醜に、醜が美に変わる極限の瞬間は存在しない。美的判断は人間の歪んだ認識による捏造にほかならず、しかも現象はそれから独立してそこにただ存在し続けることが了解される。老若男女でさえ、これらは4等分されたカテゴリーではなく、パラメータの調整によって自由に行き来することのできるスペクトラム上の任意の点の位置にほかならないことがわかる。幼い少女が、80年の時間をかけておじいさんに変化することは十分にありえる。その逆でさえ、不可能とただちにジャッジすることはできまい。
循環するイメージとは音楽にほかならない。すなわち音楽を聞くときに、ある瞬間の断面を取り出してそれを鑑賞することはできない。音楽のなかに起こるすべての瞬間は、その前後の瞬間との連続する関係における位置づけであって、ある断面に特別の印象を持つことはあっても、それはむしろ部分で完結したひとつながりのユニットを味わっていることにほかならない。イーノはそれをビジュアルアートに敷衍している。パラメータを変化させることで、出力を連続的に変化させる。それを積分するとひとつのインテグレーションとして、作品の一側面を得られる。
すべての出展作品はそのような単位をみっつでひとつの作品として提出している。ひとつの単位について周期を見極めたように思えたところで、他の単位が異なる周期で循環していれば、もう人間のクロックでは測りしれない。みっつでひとつというのは、アーティストの意図して設計したものであると感じた。ひとつだけであれば、その周期という抽象概念に目が向く。ふたつであれば、対比による抽象化に目が向かう。しかしみっつになると、複雑なリズムの抽象化をついに諦めて、そこに立ち上がる現象そのものを味わうようになる。そういう効果があるのではなかろうか。
無限にランダムな組み合わせをジェネレートすることが可能であるときに、上限が設定されていることには注目すべきである。たとえば 77 Million Paintings は、組み合わせの数が努めて抑えられているし、他の作品もそうであった。より巨大なパターン数を簡単に網羅できる手段を得られているときに、安直に無限性を希求せず、循環の周期をはっきりと設定すること。それは作品の射程をむやみに発散させない手付きのようにみえた。
光をペイントする。パラメータの入力によって移ろいゆくイメージは絵具によっては達成不能で、揮発的な光を素材としてはじめて実現されるものである。光をコントロールするための物理的なテクニックについては僕は何も知らない。画像を変換するアルゴリズムを知っていることと、光の性質を知っていることはまったく異なる問題に思われる。絵具と光を対比させるように書きはしたが、油絵にしてもそのイメージは光によってはじめて網膜に投射されるわけであって、光をなにも知らずにイメージを語るのは滑稽にさえおもわれる。この光というものはなんだろう。そういう問題提起を受け取りもした。例えば Lightboxes では、光源そのものの色相をコントロールして美しい配色を作っているようにみえたが、光に色をつけるということはどうやって可能なのだろうか。光に色をつけることが難しいのであれば、どうやって光源を包む物質の色彩を連続的に変化させられるのだろうか。イメージそのものの不思議さと同じだけ、それを媒介する制作手段の容易ならなさにも注意をひかれた。
The Ship という、最初に招待される展示室のみ、ビジュアルアートというよりは音響芸術の趣が強くあった。これもおもしろかった。靴を脱がされてその部屋にはいると、真っ暗な空間に環境音楽がただ鳴っている。どこに進めばよいのかもわからずにただ立ち尽くしていると、わずかに慣れた目が淡い照明を感知して、腰掛けるべきスツールへと導いてくれる。10m×15mほどの底面をもつ立方体の部屋に、いくつかの電球だけがスポットライトとしておかれていて、四隅にタワー型のスピーカーが、四辺のうち三辺までにはフェンダーのギターアンプが配置されている。残りの一辺は幕を張った出入り口である。おのおののスピーカーは分散した楽団員として割り当てられたパートを演奏して、音のみなもとと立方体による反響のインタラクションとして、合奏が立ち上がる。イーノらしい音色のドローンが与える軽重のトーンを土台にして、コンピューターで加工した声が詩を朗唱し、たわいのない会話のスケッチを提示し、あるいは衒いなくキャッチーに歌い上げる。
小さな部屋で静かな音楽を瞑想でもするかのように聞くことのできる環境こそ代えがたい。同じ空間でそれを愉しむ客どうしもできるだけ静かに鑑賞して、まれに衣擦れや足音が鳴ることさえ、偶然の愛おしい音楽である。背後のスピーカーから不規則な喃語が聴こえるとおもって耳を澄ませており、やがてそれはイーノの音楽ではなくて、現にそこにいる幼児が音に反応して話しているのだと感知した。これが音楽、原初の音楽であると感動した。振り返ると、幼児などいなかった。ああ! なんという幻想!
コマーシャルなロゴではなく光の重なりを表現して美しい意匠があしらわれたイベントTシャツと、名高いカードセットであるオブリーク・ストラテジーズを物販で購入した。音楽家の展覧会ではなしに、本式の芸術展として堪能した。すなわち、音楽的キャリアをいっさい意識せずとも、出展作品に固有のクオリティの高さだけで十分に楽しめる展覧会であった。意識的な芸術家だからこそこのようなパフォーマンスができるのだとあらためて思い知らされることになった。このためだけに京都を訪れたかいはあった。
書くために読む?
上手に文章を書く。なんだか憧れはあるが、なんとも要領を得ないことを言っているようでもある。名文を味わおう。名作の書き出しと文体に学ぼう。俗ではそういうことが言われていたりする。しかしそれでは書くという目的が読むことにすり替えられているようである。書くために読む。それは自明のようであって自明でない。いったいどういうことだろう。
読めば読むだけ書けるようにはならない。読んだ通りに書けるわけではない。本を読んだりはするものの、たいした読書家であるわけでもない。ましてよく書くという目的論を抱えて読むことはしていない。
生活のなかで文を読んで、言葉の使い方を直感的に覚えるくらいである。それは単語を覚えるのもそうだし、文法事項やレトリック、語源、句読点の打ち方もそう。自分のスタイルとの違いを見出して、これは好きだとかこれは嫌いだとかガヤガヤとおもう。
あらゆる言説は読むことのできる対象であって、微視的に観察すれば自分とことなるスタイルを見出すことはとめどなく可能である。ミクロなディテールをいちいち比較して、「ここはすごい」「ここはだめだ」と鑑賞することは、それ自体ではほとんど意味のないゴシップである。それを意識するようになってからは、些末なスタイルの違いにこだわって読むことを止めてしまわずに、じっくり読み進ることを心がけた。はじめは読むのが苦しかった作家が、やがてリズムの周期を把握して、スルスルと読めるようになり、ついには爽やかな読後感を持ちさえすることもあった。よもやまはなしが繰り広げられるなかに、固有の癖、執着の傾向がでるのをみるのはたのしい。それが読んで学ぶことであるのか? しかし彼らのように書くことはできまい。
ひとの話を読む。おもしろい話の作りかたや、使いたい単語や文型のリストが、じわじわと形をとる。そしてやがてこんどは自分の番がまわってくる、そのときにここぞとばかりに自分のスタイルが出る。それは出すというよりはおのずと出る。そこではわざと接続詞をとってみたり、見つけた単語をそのまま書きつけずに類語辞典をあたったうえで語を確定させたり、述語の接続でリズムを計ってみたりする。そうして自分のモードが形をもつ。
上手に書くために読んでいはしないが、読んでいるときには頭をはたらかせているし、書くときにもおなじような頭の動きがある。話すときにも、相手のことを考えながら丁寧に話すこともあれば、自分の都合で放言することもありつつ、下意識では次の言葉のデリバリーを考えている。媒介するのはいつも言葉である。ニンゲンは言葉を使わずに考えることはできない。因果を曲げると、頭をつかうために話し、読み、書く、となる。このうち書くことばかりを理想化するのは、こちらの執着の投影にすぎない。そう。
執着。それはすなわち、「偉大なアイデアがここにあるのだ」という衒いである。スマートに表現しようとおもうからなにも言えなくなる。そういうひとは少なくないらしい。同様に、正しく優れたナニカを書きたいと願うほどに書く手は減速していく。言いたいことはあるのにうまく言い表せないというとき、それは文字通り「うまく」言えないだけであって、「うまく」やろうとすることを捨てれば気は楽だ。ひとことでクリティカルな表現を与えようと目指すことは止めて、吉田兼好のスタイルで、すなわち、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく、述べればよい。言葉の価値を過大にせずに、気楽にやればよい。
おしゃべりなガキがいて、いくら静かにさせようとしても頑として聞かないので、「そんなに話してばっかりいると、身体から言葉がどんどん出ていってしまって、大人になるころには空っぽになってしまうよ!」と叱られた。するとガキはすくみあがって一切口を利くことをなくして、たしかに空っぽのニンゲンができあがった...。そういう小話を聞いた。
与太話であるものの、しゃべりすぎることへのこの怯えというのはあんがい切実なことを言っているような気もする。間違ったことを言ったらどうしよう、空気を壊したらどうしよう、滑ったらどうしよう。それを恐れてなにも言わない。書かない。しかしいずれにしても自分の番は回ってくるのである。そうであれば、あらかじめ多く失敗すべしというクリシェは有効にみえる。つまらない話を繰り返すほどに話術は向上する。つまらない本を読むほどに読む目が肥える。つまらない文を書くほどに前よりはいくらかましなものが書ける。かくのごとし。
つまらないかどうかは主観にある。気の持ちようであって、おもしろきこともなき世に、とみずからそれに楽しみを探すことが健康的である。それがものを楽しくするならばやればいいだけであるのに、つい欲を出してかえって満たされないおもいをもつことはたやすい。楽しく書く、とさえいわずに、言葉遊びのゲームでひとりキャッキャと喜んでいる。それくらいの気分でいて、変に文学賞を目指したりはしない。それがいい。
ゲルハルト・リヒター展
国立近代美術館を訪れた。ゲルハルト・リヒター展は明らかに今年の展覧会スケジュールの白眉となる企画で、年初から楽しみにしていた機会であった。しかも同じ期間にボナールの新規収蔵作品のお披露目も開催されている。快晴で、気温は38℃。北の丸公園の日射はすさまじかった。
まずはリヒターから。アブストラクト・ペインティングのシリーズ。非伝統的な色とタッチの取り合わせが、リズム感よくキャンバスに展開されていて、小さい作品であっても注意を惹かれずにはおれない。散漫になりかねないイメージをよく統御して、繊細に結実させている。
抽象絵画を名乗っていて、たしかにそれは非具象であるのだが、色彩と形態の他をすべて捨象したものとは異なっている。主題がそこにあって、それを修飾する要素が対比のために並べて提出されている感覚がある。そして主題は単数でなく、複数が相互補完的に作用することが企図されているようにみえる。それらがおのおの反復と再帰によってひとつのインテグリティを形成している。
ある主題にフォーカスすると、他の主題は後景に引き下がる。どれに注目して見るかはこちらに委ねられていて、作家はキャンバスの全体にピントを合わせることを許可している。グルスキーの巨大な写真作品を連想させられて、また内省を強いられる体験であった。
正面奥には、連作の掉尾を飾る大作が掲げられている。それは一見して他のアブストラクト・ペインティングと連続しているのだが、キャンバスの巨大化とともに明らかな非連続もはらんでいる。そこでは画面全体を統御するタッチのリズムは前線を退いて、その代わりにより潜在的で、複雑なリズムが生じている。いくつかの技法が共立していて、断片の集合のようにして提出されている。いくつかの独立した小品として自立可能なものたちを、ひとつのキャンバスに注ぎ込むという決断が与えられている。パターンの反復や再帰は部分においてのみみられて、全体には拡散せずにいる。小さく満ち足りた領域を表現することを放棄して、より大きな燃えるような不完全が示されている。モネの晩年の作品のように、横溢するエネルギーがある。反復のないカオスが新しいリズムを生んでいる。この作品を仕上げたリヒターは、油絵の筆を折ることを決意したという。それをおのずと納得させられるような気迫がそこにそびえ立っている。圧倒的な存在感を放っていた。
展覧会会場は鑑賞の順序が定めておらず、任意の足取りで行き来することが奨励されていた。後半のほうになってあらわれる「モーターボート」が、実は公開作品中ではもっとも初期の作品にあたるものだとキャプションに教えられたりもした。
その「モーターボート」は、一見してピントのぼけたモノクロ写真のようにみえる。1965年の作品とある。4人の若い男女が、こちらに向かってモーターボートを走らせて、満ち足りた幸福感を放っている。しかしどこか欺瞞の空気もたたえている。石原慎太郎の青春小説のような、空虚さ、はかなさを持っている。
そのような写真作品と了解していたところが、上手はあちらにあった。これは写真ではなく、軽薄な広告写真をキャンバスに投影して、刷毛を使ってそれをふたたび描きなおしたものであると、技術的根拠をキャプションに教えられた。これがあまりに切実におもわれて、強烈に印象に残った。
その着想の源泉には、描くべき主題を失った芸術家のあがきがある。心のなかから湧き上がる燃えるような情念をキャンバスに焼き付けよう、というようなロマン主義的エゴを彼はもとより持っていないことが了解される。むしろ彼は、描くものがない時代に画家はなにを描くことができるか、という問いに答えを与えようとして、「モーターボート」を制作した。そのために、技術の支援を借りた。写真とプロジェクターを利用して、それらの技術が人間の視覚を規定する構造を暴こうとした。ただし、それらの技術をコンセプチュアルに提出する代わりに、画家の手でそれを描きなおすという工夫を加えた。シニカルに即物的な態度を取るのではなく、職人としての芸術家の矜持をキャンバスに表現した。その意味では、ロマンチックなところはわずかにある。主題なき時代に、絵画は死んだ、と開き直ることをせずに、新しい技術によって新しい絵画を可能にした。そこにグッときた。
同時代の状況への意識も向けさせられた。ドレスデン生まれの東ドイツ人である。冷戦中に制作された作品には、それが落とす影をつい読み取ろうとしてしまった。例えば、入場するとただちに右手にあらわれるアブストラクト・ペインティングは、アルミの土台に白と橙が塗られて、爽やかさと甘酸っぱさが充満している。これは91年の制作である。そしてそれは「ビルケナウ」に向かって黒々と沈鬱に下降していくのちの過程をみるほどに、青春のあわい光のようなものを感じさせる。
その明るさは東西ドイツの統合と、暗さは統合後30年の必ずしも明るくばかりはないことが判明した現在と、それぞれ照合しまいかとつい作家の物語を虚構してしまう。90年代はリヒターの60代に対応するから、そうナイーブに自由と開放を信じることは彼にはなかったと信じたいようにもおもいつつ、90年代の無邪気な明るさから、ふたたびアウシュヴィッツの暗く重い主題に回帰する足取りに、オプティミズムを読み取ることは困難である。
総括すると、作家にとって60代を過ぎてからの作品の出展が9割以上を占めていた。しかし、円熟から晩年へと至るそれらのラインナップは、スタイルとして実に多彩で、しかも多産である。リヒターにとって、若い不遇の時代がどのようなものであったのかはもとより紹介されていないが、制作に向かう態度として、ぼくは次のことを受け止めた。職業として作品を作り続けること。仕事をこなすとは、締切を守り、次の注文につなげること。あいまに一息つくようにして、たまにはすこし違うことをやること。そうして仕事の幅を広げること。
すべての作品が感銘の源となっているから、会場を立ち去るのが惜しく、せめて図録を手に入れた。とはいっても、大判のものにつき会場で購入して持ち帰りはせずに、スポンサーの朝日新聞にオンラインで注文した。ちらりと立ち読みをしたところ、掲載論文を読むだけでもずいぶんとモダンアートの勉強になるように思われて、めったにしない買い物を迷いもせずに決められた。
特大級の展示に長く足を止めてしまったものだから、ボナールを観にむかうころには空腹もピークであった。早足に常設展を見物するが、そうはいっても村上隆の初期作品やら、藤田嗣治の素晴らしい戦争絵画、かつてこの美術館でみたトーマス・ルフ作品に、グルスキーまでが所蔵されていて、おまけで鑑賞するにはもったいない展示であった。国立西洋美術館の常設展にまったく引けをとっていないことにノーマークだった。
ボナールは、ピカソと並んで絵画にとってのモダニズムの代表的人物であるという教科書的な知識を身に着けたのみで、作品を生でみたことはほとんどない。だからこそ、タイムリーに公開されていることにワクワクしてみにいったわけだが、一枚の作品を眺めて知ることのできることは多くはなかった。異様な存在感を放っていたことはたしかであるが、ボナール個人にとって、また彼の背後にある歴史の文脈にとって、どのようなメカニズムがはたらいてその作品が生じたのか、という詳察にいたることはできなかった。しかしこれからは、竹橋に向かえばいつでもボナールを拝めるということは大きな資産である。
素晴らしい特別展を企画してくれることはもとより、日頃からの収集と研究のたまものとして美術館という施設が成り立っていることがよくわかった。極東にいて最上の世界美術を観覧できることほどありがたいことはない。文化施設が東京に一極化していると不満を垂れたりしたこともあったが、それは欧米への一極化から文化を守ってくれているということでもある。そのようにしてこの国立施設が実におもしろい企画を次々に生み出してくれているというのは、とんでもないことである。これからもどうぞよろしくおねがいします。
帰り途に、神保町の三幸苑という中華料理店で、餃子、唐揚げ、天津飯、豆苗炒め、エビマヨを食べた。いずれも絶品。
Beats X
エアーポッズを耳に挿して長いオンライン講演を聞いていた。3時間をまわったあたりで、充電が切れて聞こえなくなった。最後まで聞くだけならノートパソコンのスピーカーでも十分であるのだが、最後にやってくる質疑のセッションで尋ねてみたいことがあったので、マイク付きのイヤホンの準備ができていないと心もとない。
そういうときのために、引き出しにもうひとつのワイヤレスイヤホンをしまっていた。首から下げる Beats X がそれである。片方を代用するあいだに、もう片方を充電するやりかたで使っていた。近頃はそう長時間にわたってイヤホンを使い続けることもなく、ご無沙汰になっていた。
ずいぶん使っていなかったものだから、そっちの充電もまた空になってしまってはいないかとおもいつつ、試してみるよりない。よしそうしようと取り出してみると、ゴミの山に埋もれていたわけでもないのに、ケーブルのゴム表面が汚く腐食して、ベタベタの膜を作っていた。
ひとまずティッシュで拭ってみると見た目の汚れは取れて、明らかにみえる汚れはなくなった。しかしいちど肥満を経た皮膚のように、ケーブルを包むゴムがよくみるとブヨブヨとしている。取れたはずのベタベタが手に残っているのも不快で、それをいま首に下げようとは思えない。そういうことになった。エアーポッズは、5分か10分ほどケースにしまっておくと、ひとまずまた使えるくらいのバッテリーは回復してくれる。それで十分に事なきをえた。
Beats X は、捨てることにした。2019年のブラックフライデーにエアーポッズを手に入れるまで、ずっと気に入って使っていたものを手放すことになった。
はじめて製品を認知したのはたしか2016年。新木場スタジオコーストのイベントで、 MC の格好いいお兄さんが首にぶら下げているのにあこがれて購入したのだった。ネックレスのように身につけられるのがモダンな印象だった。胸まであって小さくないデザインであるのに、ゴツさとは対極の洗練されたイメージを持っていた。はっきりと覚えている。クラブイベントとバスケットボールの融合を謳ったパーティだった。トラップミュージックが爆音で流れるフロアで、缶ビールを飲みながら 3 on 3 の試合を夜通しみていた。あれは楽しかった。明け方にプールバーの脇で撮った写真の写りがよかったので、それをラインのプロフィール写真にしていたこともあった。
ワイヤレスイヤホンを初めて所有したのがこれだった。ポケットにイヤホンを持ち歩く必要がなくて、ただファッション感覚で首に下げるだけでよい。その気楽さが好きだった。首にぶら下げていると食事がとりづらいので、食事中にいったん外してテーブルに置いて、そのまま置き忘れたことが何度かあった。忘れてもすぐに気づくから取りに戻って安堵した思い出もおおい。ただ一店、渋谷のフライデーズだけは会計から10分後にもどったらもう取り戻せなくなっていた。あまり美味しかった記憶がなく、その後も二度と訪れていないのは、その苦い経験の影響がある。
なくしては買い直すことを繰り返して、通算で3本か4本を所有した。すべてホワイトだった。いま公式オンラインストアを眺めると、 X シリーズはもう存在しないらしい。 Beats Flex という、丸っこいデザインの製品が後継しているようにみえる。マグネットのイヤーバッドをくっつけたときにきれいな直線があらわれたことに強い郷愁を持っているらしく、この新しいモデルを買い直そうという気分にはどうもならない。ひとまわり下の友達への贈り物としてなら格好いいチョイスかもとおもいつつ、自分のために買って使うことはもうないだろうとおもう。そういうおもいのなかに、若さとの決別のようなさみしさを持っている。
ghq でインストールしたレポジトリをまとめて pull する
github.com/x-motemen/ghq でインストールしたレポジトリをまとめて pull する。並列化したスクリプトを自前で書こうとする前にオプションのリストを眺めていたら、単にワンライナーでできることに気づいた。それがこれ。
ghq list | ghq get --update --parallel
200個くらいのレポジトリの git pull が1分くらいで終わって便利。
流れていくログをみているとたまにエラーが報告されているので、たかだか数個のそれらは手動で解決していく。それらはすべて、メインブランチが master から main にリネームされているだけという様子だった。